現代への示唆

六十代・七十代からの武士道禅──死を前にしても揺るがぬ生き方

六十を越えて、腹は決まっていますか六十を越えると、人生の終わりが、現実のものとして近づいてきます。体力も落ちる。友人も減る。出来ないことが増える。若い頃のように、未来が無限に広がっている感覚はありません。だからこそ、問われます。あなたは、腹...
現代への示唆

青春は、若さの特権ではない

青春とは年齢ではなく心の在り方。32歳でサミュエル・ウルマンの詩に出会い、その言葉を指針に生きてきた実体験を、若い世代と50代以降へ向け綴っています。
武士道と禅

十牛図 第六「騎牛帰家」

──努力が消え、自然に生き始める第五の「牧牛」で、人は心に振り回されず、牛と共に歩けるようになりました。まだ完全に自由ではありませんが、もはや力で押さえつける必要もない。そこで現れるのが、第六の段階「騎牛帰家(きぎゅうきか)」です。騎牛帰家...
武士道と禅

十牛図 第五「牧牛」

──心に振り回されず、共に歩けるようになる第四の「得牛」で、人は逃げ回る心と正面から向き合い、今ここに踏みとどまる感覚をつかみ始めました。しかし、牛を捕まえたからといって、すぐに安心できるわけではありません。油断すれば、心はまた暴れ出します...
武士道と禅

十牛図 第四「得牛」

──逃げる心を、今ここでつかまえる第三の「見牛」で、人は本来の自分をほんの一瞬、確かに感じました。しかし、それは見えただけであり、手にしたわけではありません。心はすぐに元の勢いを取り戻し、雑念や妄想は、何事もなかったかのように戻ってきます。...
武士道と禅

十牛図 第三「見牛」

──本来の自分を、初めて垣間見る第二の「見跡」で、人は自分の心の癖や迷いの道筋を少しずつ見分けられるようになりました。足跡を追い続けていると、あるとき、それまでとは明らかに違う感覚が現れます。それが第三の段階「見牛(けんぎゅう)」です。見牛...
武士道と禅

十牛図 第二「見跡」

──迷いは、必ず行動の跡として現れる第一の「尋牛」で、人はようやく「自分は何かを見失っているかもしれない」という地点に立ちました。しかし、この気づきだけでは、まだ道は見えません。探そうとしても、何を手がかりにすればよいのか分からない。そこで...
現代への示唆

頑張ってきた40代ほど陥る空虚さ

成果を重ねても消えない40代の虚しさ。その理由は「足す生き方」にあります。鎌倉武士と武士道禅が示す、腰を据えた生き方とは何か。
現代への示唆

やりたいことが分からない20代へ

やりたいことが分からず焦る20代へ。その不安は遅れている証ではありません。鎌倉武士が禅に求めた生き方から、武士道禅が教える「焦らない生き方」を考察します。
武士道と禅

朝比奈切通しとは?

朝比奈切通しとは何だったのか。鎌倉武士が日常として通ったこの道には、武士道と禅が生まれた時代の緊張感が今も残ります。
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