十牛図 第四「得牛」

禅の実践

一度、本来の自分を垣間見ても、心はすぐに雑念へ戻ります。得牛とは、その逃げる心を今ここでつかまえる段階です。


十牛図 第四「得牛」|逃げる心を今ここでつかまえる

第三の「見牛」では、本来の自分を一瞬だけ垣間見ました。

雑念がふっと切れる。
目の前の世界が鮮明になる。
手の動き、足の運び、人の声が、そのまま入ってくる。

「ああ、これなのか」

そう感じる瞬間があります。

しかし、ここで終わりではありません。

牛は見えた。
しかし、まだ捕まえていないのです。

心はすぐに元へ戻ります。
雑念も戻る。
妄想も戻る。
不安も戻る。
自我も、何事もなかったようにまた顔を出す。

そこで出てくるのが、第四の「得牛」です。

得牛とは何か

得牛とは、見つけた牛に手綱をかけ、逃がさないようにする段階です。

つまり、一瞬見えた本来の自分を、今度は自分のものにしていく段階です。

これが簡単ではありません。

なぜなら、心はすぐに逃げるからです。

過去へ逃げる。
未来へ逃げる。
人の評価へ逃げる。
不安へ逃げる。
怒りへ逃げる。
妄想へ逃げる。

気づけば、心はもう今ここにいません。

得牛とは、その逃げる心を、何度でも今ここへ引き戻すことです。

私にとって得牛は、心との力くらべだった

私が禅の修行で強く感じたのは、この段階の厳しさです。

一瞬、雑念が切れる体験をすると、人は少し分かったような気になります。

しかし、そこからが本当の勝負でした。

坐っていても、心はすぐに動きます。
歩いていても、心は先へ行きます。
食べていても、別のことを考えます。
人と話していても、余計な解釈が入ります。

そのたびに、心を今ここへ戻す。

ただ戻す。
何度でも戻す。
逃げたら戻す。
また逃げたら、また戻す。

これが得牛です。

雑念即切断

私が武士道禅で大事にしているのは、雑念に気づいた瞬間に切ることです。

雑念を眺めるのではありません。
雑念と仲良くするのでもありません。
雑念に理由をつけるのでもありません。

出たら切る。

不安が出たら切る。
怒りが出たら切る。
過去が出たら切る。
未来が出たら切る。
人の評価が出たら切る。

そして、今している一つのことへ戻る。

歩いているなら、歩く。
食べているなら、食べる。
聞いているなら、聞く。
触れているなら、触れる。
坐っているなら、坐る。

これを徹底していくのです。

「今ここ」に踏みとどまる

得牛の核心は、今ここに踏みとどまることです。

人の心は、今ここにいるようで、ほとんど今ここにいません。

過去の後悔。
未来の不安。
人からどう思われるか。
損か得か。
うまくいくか、失敗するか。

こうした雑念に、心はすぐ連れていかれます。

しかし、過去はもうありません。
未来もまだありません。
本当にあるのは、今この一瞬だけです。

得牛とは、この今の一点から離れない稽古です。

精神を尽くすとは何か

禅では、ただ力を抜けばいいわけではありません。

むしろ、得牛の段階では全力です。

目の前の一つに、精神を尽くす。
心を分散させない。
体と心を一つにする。
今していることに成り切る。

これが大事です。

茶碗を持つなら、茶碗を持つ。
箸を使うなら、箸を使う。
ドアノブに触れるなら、触れる。
一歩歩くなら、その一歩に成り切る。

この時、心は余計なところへ行けません。

だから雑念が弱まっていきます。

鎌倉武士にとっての得牛

鎌倉武士にとって、得牛の段階は極めて重要だったはずです。

一瞬、心が静まるだけでは足りません。
戦の場で、恐れに飲まれれば命を落とします。
怒りで判断を誤れば、すべてを失います。
迷って一瞬遅れれば、取り返しがつきません。

だから、心を今ここにつかまえておく力が必要だったのです。

刀を抜く時は、刀を抜く。
相手を見る時は、見る。
動く時は、動く。
退く時は、退く。

余計な妄想を挟まない。

これができなければ、武士の禅にはならなかったはずです。

現代人にも得牛は必要である

現代には、刀の戦はありません。

しかし、心の戦は毎日あります。

仕事の決断。
人間関係。
家族との会話。
お金の不安。
将来の心配。
体の不調。
人生後半の迷い。

こうした場面で、心がすぐに逃げる。

考えすぎる。
先延ばしにする。
人のせいにする。
不安に飲まれる。
スマホに逃げる。
酒や娯楽でごまかす。

これでは、本来の自分には戻れません。

得牛とは、そうした逃げる心をつかまえることです。

得牛で、少し安心が生まれる

得牛の段階では、まだ完全な自由ではありません。

しかし、少しずつ確信が出てきます。

「ああ、ここに戻ればいいのだ」
「心が乱れたら、今していることに戻ればいいのだ」
「雑念を追わなければ、心は静まるのだ」

この急所が分かってきます。

これは大きいです。

人生で心が乱れた時、戻る場所がある。
不安になった時、帰る場所がある。
雑念に引っ張られた時、切る方法がある。

これを知るだけで、人はかなり強くなります。

得牛で油断してはいけない

ただし、得牛でも油断はできません。

牛はまだ暴れます。

少し気を抜くと、すぐ逃げます。
分かったつもりになると、すぐ雑念に戻ります。
安心した瞬間、自我が出ます。

だから、この段階では稽古が必要です。

一度つかまえた牛を、何度も逃がさないようにする。
暴れたら手綱を締める。
逃げたら追う。
また今ここへ戻す。

この繰り返しです。

最後に

十牛図の第四「得牛」は、逃げる心をつかまえる段階です。

本来の自分を一瞬見た。
しかし、まだ自分のものにはなっていない。

だから、今ここに戻す。
雑念を切る。
目の前の一つに成り切る。
体と心を一つにする。

ここから修行は、本当に厳しくなります。

しかし同時に、ここから本当の力も生まれてきます。

心が乱れても戻れる。
雑念が出ても切れる。
不安が出ても今ここに立てる。

この力が育つと、人は少しずつ腹が決まってきます。

牛をつかまえたら、次は飼い慣らさなければなりません。

それが第五「牧牛」です。

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