武士道禅3日間研修受講者の声(一部紹介)
♠武士道禅体験記 稲見大海 私塾運営 28歳
【武士道禅3日間研修を終えての感想】
船戸先生、3日間大変お世話になりました。
今後、研修を受けられる方の参考になれば幸いです。
さて、この研修ではひたすら「雑念、妄念を切り捨てる」事に取り組むわけですが、私の場合、他の方と比べてそもそもの雑念・妄念が少なかったようです。
時折船戸先生が雑念がどれくらい出ているかチェックしてくれるのですが、その結果に、船戸先生も「おかしいな。普通の人は、雑念に苦しむのだが、、、雑念が出ている事に気が付いていないんじゃないのか?」と疑問を持たれるほどでした。
私の場合は、呼吸の感覚や足の裏の感覚に注意を向けることが「心地いい」と感じていたため、雑念もあまり湧いてこず気持ちよく取り組んでいました。
1日目はそうしてあっという間に過ぎてしまいました。
2日目も同様に午前中が過ぎました。
気持ちがよいので苦も無く取り組んでおりましたが、いわゆる「悟り」の心境というものは感じませんでした。
船戸先生にご相談した所、「緊張感をもって、真剣に取り組むように。
0.1秒の命がけの呼吸をするように」とのアドバイスを頂きました。
そこで私は取り組む姿勢が間違っていた事に気が付きました。
禅に取り組む気概が足りていなかったのです。
「雑念」という敵があまり現れないことをいい事に気を緩めてしまっていたのです。
そこからは、「五感をフル活用して感覚に全集中する」という事に取り組みました。
1時間ほど続けていると今度はとてつもなく疲れてしまい、集中力が著しく低下してしまいました。
船戸先生にお聞きすると、「いまだかつてそんな人はいなかった」と言われ、この取り組み方が間違っている事に気が付きました。
「真剣に命がけで行いながらも余分な力は抜く」という感覚を探りながら取り組みました。
そして、高い集中状態をキープできる感覚がつかめるようになってくると、足と畳が一体化するような感覚を得ることができました。
2日目はそこで終了となりました。
さて、最終日の3日目。
引き続き、昨日の感覚を意識して取り組みました。
徐々に集中力が高まり、落ち着きが深まっている事を体感しました。
そして、16:00頃歩行禅をしている最中に、足の裏から全身を貫くようなエネルギーを感じました。
全身が震えるようなエネルギーです。
地球からくるエネルギーと言いましょうか、宇宙からくるエネルギーと言いましょうか。
とにかく大きなところから送られてくるエネルギーを感じました。
そして、「ああ、全ては繋がっている」という事を体感したのです。
それはとても満たされた感覚でした。
そして、「世の中で悩み苦しんでいる人を救ってあげたい」という慈悲の心が自然と湧き上がりました。
しばらくその感覚を味わい、船戸先生に報告し「よかったね。おめでとう」と握手をして終了となりました。
武士道禅を通して得られたことは、下記の三点です。
・余計な雑念、妄念が出てきたときに瞬時に切り捨てる事ができるようになった事。
・自分がやりたい事、やるべき事に集中して堂々と取り組めるようになった事。
・人生観が「何かを得ようとする人生」から「何かを与えようとする人生」に切り変わった事。
今後の日常生活においても禅的生活を心がけ、己の志に向かって進んでいきたいと思います。
船戸先生、貴重な体験を与えて下さり、誠にありがとうございました!
♠武士道禅体験記 田中亨典 企業家
【参加動機】
武士道や禅といった、今の私たちからは失われているが、昔の強かった日本人が大切にしていたであろう教えに興味があったこと、また、私自身がふだんの生活の中で不要な思考が蔓延っている気がしていたので、これは参加するしかないと思い飛び込んでみました。
【概括】
3日間のプログラムのうち、3日目の昼までは本当にできるのか不安しかありませんでした。
しかし、先生が当初から仰っていた「3日目の夕方ですよ」という言葉の通り、夕方に劇的な変化が私の中で起こりました。
先生の教えに本当に助けられた3日間でした。
【3日間の詳細】
(1日目)
知識として教えていただいた「雑念を流す」「今を生きる」ということ、これについては仕事柄マインドフルネスを扱う人たちとの関わりもあり、なんとなくの理解はしていました。
でも、瞑想などをしっかり実践したこともなく、正座もできない、そんな私が大丈夫なのか、という不安からのスタートでした。
実践スタートし、案の定、全くできず。
1回の呼吸の間ですら、湧き上がってくる雑念を抑えることが出来ず、またその雑念に気付くこともできず妄想へと沈んでいく時間がただただ過ぎていきました。
しばらくたって妄想に気付き「あ、まただ・・・」と落ち込み、何回やってもそれが治らず、ただただ自分の出来なさ加減を責めてました。
先生の言葉掛け、実践サポートにより、雑念に気付くのが早くなるという成長をすることが出来たのが唯一の救いでした。
(2日目)
1日目と同じ状況を繰り返し、先生からはマインド面、具体的なやり方などのアドバイスを頂く中で、ようやく1呼吸の間だけ雑念が起こらない状況を作り出すことができるようになりました。
ただ、これを継続することが出来ない。
体力・精神力のなさを痛烈に感じ、自分を責めつつ、もう2日終わってしまうという焦りと戦うという、あまりよくないスパイラルに入っていました。
そんな中でも、先生からの「大丈夫だから」という言葉が私を支えてくれて何とか2日目を終えることとなりました。
(3日目)
変化があったのは昼食後のことでした。
「ヤバイ、もうあと何時間もない・・・」という焦りのある一方で「絶対にモノにするんだ」という気持ちが発火したことで、自然と自分の中から強い呼吸が生まれてくるようになりました。
自分の中で眠っていた獣性、動物的な感覚が目覚めたんだと思います。
その動物的な感覚に従って、呼吸を続けると、今までにない集中力と我を忘れて呼吸に没頭できる自分が出てきて、それを継続すると自分というものがよくわからなくなり、周りのものとの一体感を感じるようになりました。
畳の上をゆっくり歩くと、足裏と畳がピッタリくっついているようで、まるで畳の草履を履いているような錯覚、また、自分の手を動かすと、0.1秒の今を生きる自分の手元を見て感動してしまい、自然に涙が溢れてきました。
これが先生の仰っていた感覚なのかと、初日から仰っていたように「3日目の夕方だから」という言葉を信じて、あきらめずにやってきて本当によかったと思えた瞬間でした。
【すべてを終えて】
おおげさな表現かもしれませんが、この修行はすべての日本人が受けるべきものだと思います。
私も3日間が終わっただけなので、何も言える立場ではありませんが、多くの日本人がこの修行を受けることで、我が国全体がやさしさと強さを取り戻し、幸せで豊かな暮らしを次の世代へ繋いでいけるのではないかと思います。
船戸先生、3日間ありがとうございました。
これからも更なる深みを目指して修行を続けて参ります。
武士道禅体験記 田中依子 小学校教員
初日
正座をして禅をはじめたところ、足がしびれてきて集中力を欠いてしまった。
そのことを船戸先生に伝えると「だから座布団を使ったり、半跏坐にしたり工夫してと何回も言っていたよね。」と言われハッとした。
聞いているようで聞いていない。
自分のいいようにしか聞いていない。
「私はけっこう正座が得意だから…」そう思っている自分がいるから、聞き流してしまっていた。
それからスイッチが入ったように船戸先生の言うことがまっすぐに入ってくるようになった。
「ただ聞く」それがまず大きな発見だった。
一点を見つめて「今、今」と集中していると、外の物音はほとんど気にならないが、船戸先生が立てる音にすぐ雑念が湧いてしまうことに気づいた。
先生が水を飲む音、携帯電話を置く音、そのたびに「あれ?私のやり方、違うのかな?」と不安になる自分がいた。
また、先生が部屋を出て行かれると安心して、戻って来られると緊張する自分もいた。
先生の一挙手一投足が縁となって、隙が生まれ、そこから妄想に入り、心が乱れる自分に気づいたので、その雑念を待ち構えて「関係ない、関係ない」と切っているうちに、先生が戻って来られると安心する自分になっていた。
初日はその変化がとても大きかった。
宿泊施設に到着すると、いつもと違う匂いがとても気になった。
次の日、先生に伝えると「以前よりも五感が鋭くなっているからね」とのこと。納得をした。
香りが自分に与える影響の大きさに気づくとともに、今に集中すれば、香りも気にならなくなると知った。
外の世界ではすぐに自分の心が乱れてしまうこと、雑念にすら気づかないいつもの自分になっていることを体験した一泊目であった。
二日目
雑念のない無の状態をできるだけ長くできるように取り組んだ。
相変わらず出てくるのは「このやり方でいいのかな?」ということ。
先生から「雑念は出ていますか?」と質問されるうちに、「雑念っていったい何?」と雑念の定義や、自分に雑念が出ているのかいないのかも分からなくなっていたので、先生に「雑念って例えば何ですか?」と質問をした。
船戸先生が例として出してくれた雑念はほとんどなかった。
「私の雑念のほとんどは、このやり方でいいのかな?ということです。」と伝えると、では一緒にやってみましょうと、黒点凝視⇒指禅⇒仁王禅⇒歩行禅とフルコースを一緒にやってくださった。
船戸先生の隣に座り、先生の息合いに合わせて同じ動作をし、歩行禅では後ろにピタッとついて動きをまねした。
とたんにやり方についての雑念が取れ、驚くほど集中できた。
そこから自分ひとりでも禅に集中できるようになった。これが二日目の大きな気づきであり変化である。
その後、試行錯誤の結果、私の場合は仁王禅と歩行禅の組み合わせが一番集中できることが分かった。
やってみないと分からないということ、そして私の思考の癖(正しいやり方か?)に気づくことができた。
二日目の宿泊は場所に慣れたせいもあり、初日よりも一つ一つの動作に集中して過ごすことができた。
三日目
朝から磯子公会堂は高校生でいっぱいであった。
そんな中でも呼吸に意識を向けることで、心静かにスタートまでの30分を過ごすことができたのは大きな成長である。
三日目は隙を作らない守りを強くすることに取り組んだ。
二日目に発見した歩行禅と仁王禅の組み合わせをさらに進化させ、強弱をつけることで守りを強化できることを発見した。
三日目になり、「本当に悟りまでいけるのだろうか」「先輩方はつかんでいるのに…」という別の雑念が出てきたが、雑念の正体は自分の思考の癖であり、対処の仕方も分かっていたので、落ち着いて禅に集中することができた。
午後になり、「そろそろ歩行禅や仁王禅をしなくても坐禅だけで大丈夫ではないですか。」と言われたので坐禅に切り替えた。
仙骨を立て、腹式呼吸を意識して取り組んでいると不思議な感覚になった。
心はシーンと静まりかえり、心臓の音だけがドクドクと聞こえる。
意識ははっきりとあり、心地よい。
自分が受精卵になって母親の胎内にいるような感じ…。
後から先生と話し、あれが坐禅三昧だったのか、それはよく分からないけれど、「あるがままの自然体」を体験することができた。
最後に先生に写真を撮ってもらい、初日の写真と比べて驚いた。明らかに顔つきが違う。
これからも日常生活の中で武士道禅を続け、子供たちの前に立つ者として、自分自身を高めていきます。
船戸先生、三日間ご指導くださりありがとうございました。
先生の的確なご指導があったからこそ、無の境地の一端をつかむことができました。これからもご指導よろしくお願いいたします。

♠「武士道禅」体験記 小出潤 小学校教員
3日間に渡る武士道禅修行が終わり、帰ってきました。
我々小出潤、伊藤優、星陽介3名の「悟り」に向けて、全力でご指導頂いたもののふの会顧問、啐啄塾(そったくじゅく)代表の
船戸先生には本当に感謝の氣持ちで一杯です。
鎌倉時代の武士が命懸けで「悟り」を目的とした禅。
本当の意味での命懸けとは何か。
それはこの一瞬一瞬の「0.1秒の今」を命懸けで守り続けていくこと。
自我が薄れていくことで、今まで味わったことのなかった「無」の心境に短時間でしたが辿り着きました。
只(ただ)在ること、只見ること、只聞くこと、
あるがままの自然体の状態がこんなにも落ち着いて穏やかだったとは知りませんでした。
3日間の修行を終え、外に出て歩き出した時、温かい風が全身をおおいました。
あたたかな風の命に全身が包まれ、自然と涙が溢れました。
禅修行は、まさに格闘技そのものでした。
強い意志がなければ、雑念(よい思いも思考も全て雑念)を捨て切り続け、「0.1秒の今」の呼吸を守り抜くことはできません。
一点のみ集中し目を凝視させます。
修行の最後は雑念を一切入れない全身全霊の強い呼吸と一点凝視を1時間し続けました。
涙と鼻水がずっと出ていましたが、日本を守り抜く意志と根性でやり抜きました。
終わった後は、深い愛情と強い意志力、無を持った新しい人間として生まれ変わった自分がいました。
ビフォー、アフターでは3人とも表情、立ち姿が明らかに違います。
ここまで熱心にご指導してくださったのも、
船戸正義先生が日本の未来を本氣で憂い、
何とかしたいと我々もののふの会の決起メンバーに
かつての武士のような胆力を身につけ、
何としても日本人としての誇りと自覚を取り戻す教育の復活と、日本の復活を願っていらっしゃるからです。
我々は武士道禅を身につけた啐啄塾(そったくじゅく)塾生としてその責務を果たします。
3日間で得た禅の境地を完全に自らのものにし、
悟りをひらけるよう、
さらに日常生活での100日禅修行に励んで参ります。
そして、私も塾生として成長し、さらに1人でも多くの方々に武士道禅を広げていけるよう、弛まず精進し続けて参ります。
関わって下さる全ての皆様、いつも有難うございます。
これからも変わらず、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。
令和4年8月2日
理念〜人格を磨き、人間力を高め、日本人としての自覚と誇りを取り戻す〜
「もののふの会」副会長 小出潤

♠「武士道禅」体験記 伊藤優 小学校教員
船戸先生
3日間、ご指導ありがとうございました。
様々な場面で船戸先生の深い愛情を感じました。
また、家庭のことで行けるか迷っていた時に、船戸先生のアドバイス、本当に嬉しかったです。
今回の修行では、
未来は今の連続でしかないことに気付きました。
一呼吸に全力を傾けることができれば、未来永劫全力を傾けることができる。
また、おにぎりと一つになる。畳と足が一体になる。今までにない感覚で、涙が出てきました。
この修行で得た成果を、現実世界に活かすことで、
御恩に報いたいと思います。
今後とも、よろしくお願い致します。
伊藤優
♠「武士道禅」体験記 片川儀治 小学校教員
久良岐能舞台 マンツーマン指導希望
○所感(心境の変化)
一日目
1.講話を受ける。
・現代人のほとんどは、過去から引きずる想い、トラウマや、未来への不安、期待の想いに引きずられ、今に生きることが出来ていない。そのため、心の病、パニック障害等を引き起こし、自殺者も増えていく。人は、今の瞬間にしか生きることが出来ないのである。
・六界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)はあの世の話ではなく、現に生きる人間が一日の内に体験していることである。(起こる出来事に反応し、修羅の心境に至ったり、一時の快楽で天の世界を味わったりする)ほとんどの人は、現世で六界から逃れられない。
・禅によって、六界から脱することが出来る。(「何かがあったから楽しい」ではなく、今の瞬間が全て楽しくなる)六界から脱した世界は、①声聞(価値ある話を聞く)②縁覚(良き出会いがある)③菩薩(悟りを得るため修行する)④仏(悟りをした人)である。
・瞑想は、目を閉じて気持ちよくなることで、一時的に雑念がない世界を体験する。しかし、目を開けておらず、心と体が一体となった状態ではないので、今に生きることはできず、悟れない。
・禅寺の多くは座禅を行う。しかし座ったまま一点を見つめるだけでは、悟りの境地に至るのは困難である。禅が終わった後すぐに作務(寺の仕事)を行うが、作務の単純作業において心と体を一体にできれば良いが、ほとんどの修行者は作務と禅を別物と考えているので、作務に移った瞬間、禅行から離れてしまう。
・禅で味わうことのできる「今」とは、0.01秒の世界。0.01秒前の想いを、今に引きずることがなくなる。瞬間瞬間を切り取ることが出来るようになる。
・頭で考えてもだめ。体験しないと分からない。(禅書を読んでも体験していない人は理解できない)
・禅を行い、肚ができると、縁が変わってくる。
2.動と静を交互に行う禅を実践。
・はじめは雑念が何かも気づかなかった。
・頭に浮かんでくる思い、考え、情景が段々と分かってきた。
・雑念がない感覚を求めようとするが、次々と浮かんでくる雑念に苦しんだ。
・数時間禅を行うことで、30秒くらいは、雑念が出てこない世界に行き着くことが出来た。
・ホテルに帰ってからの単純作業を心身一体でゆっくり行うよう意識することで、今までは全て体が勝手に単純作業行っており、心がついていっていないことに気づいた。(一度にいくつもの作業を同時に行っていた)
二日目
・「一度に一つのことしか行わない」を実践できるようになった。
・雑念(突然フッと浮かんでくる思い、情景)と、妄想(雑念から広がっていく世界)が異質のものだと気づいた。
・昨日よりも雑念が少なくなった。
・先生の話を聞く際、手振りが少なくなった。(手振りのほとんどは無意識に行っていたので、心と体が一体ではなかった)
・外界の刺激(音、声など)は気にならなくなったが、目に入ったものから、過去の思い出などが妄想として繋がっていき、それを切り取るのに苦しんだ。
・「雑念を断ち切るための呼吸が甘い」と指導をいただき、真剣に呼吸を行うようになった。(それまでは、呼吸の真剣度が今どのくらいかが分からなかった)大きな鼻息、唸るような声で邪を祓う感覚で真剣な呼吸を行った。すると、一気に雑念が少なくなった。
三日目
・朝起きた瞬間から禅行を行うことが出来た。(布団の中で、心と体をくっつけて腕を回し、起き上がるなど)
・雑念は悪霊ではなく、只の思い込みであることに気づいた。敵は外にあるのではなく、自分の中にあったのだ。所詮雑念であることに気づくことで、たとえ雑念が浮かんできても、受け流すことができるようになり、雑念が怖くなくなった。(雑念を言葉で対処するのではなく、今、今、今、無、無、無と瞬間を切り分ける感覚で消していく)
・雑念や心のざわつきがあっても、瞬間を切り分けることで、次の瞬間に引きずらなくなった。
・歩行禅を行う二十分間、全く雑念が出てこなかった。
・三日目が一番落ち着いていた。全て終了した後、先生の講話を聞いている間、「只聞く」という感覚になり、心が恐ろしいほど落ち着いていた。
・「一度に一つのことしか行わない」ことで、所作が以前より美しくなった。
・外の自然が恐ろしいほど美しく、目に少し涙が浮かんだ。
○終了一日後の心境
・職場において、禅行前と同様、子どもと話したり、授業を行ったが、すぐに禅の心境に戻れるようになった。
・心がざわめくことがほとんどなくなった。子どもに対しイライラすることがほとんどなくなった。
・職場においても、歩行中、手洗い中など、様々な単純作業で禅行が行えた。
・日常生活に戻っても、禅行前の世界には戻らないという自信を手に入れることが出来た。
○禅行が終わった後の境地
・雑念など、所詮は頭が作り出したもの。何も恐れることはない。
・これまで抱えていた悩みは、すべて心が作り出したものであった。心が自由自在であることに気づいた今、恐れるものは何もない。
・未来に対しても、何の不安もない。何か起これば、そのとき全力で対処すればよいだけ。
・人が何を考えていようと、気にすることはない。只、堂々としておけば良い。
・焦ることはない。たとえ問題が起こっても、淡々と対処すればよい。
・日常生活の中でも、いつでも禅修行を行える。禅修行を意識的に行うことが大事。
○次に体験される方へのアドバイス
・はじめは、自分がやっていることが正しいのか分からないので、些細なことでも先生に、疑問の都度聞いた方がいいです。
・三日間は、いつでも禅行を行うことが大切です。寝る直前まで、起きた直後から禅を行えば効果が出ます。
・禅は時間ではなく質の問題です。たとえ5分でも、真剣に呼吸を行えば、効果は絶大です。
船戸先生
小出先生に感化を受け、私も小出先生、伊藤先生、星さんと同じく、本日から新たに100日禅を行うことにしました。
100日後の11/11までをとりあえずの目標にして、毎日報告日記を書きます。
船戸先生から指導を受けてから90日となりますが、新規一転今日からまたカウントしていきます。
これまでの90日の振り返りも、改めてしたいと思います。
よろしくお願いします。
片川儀治

♠「武士道禅」体験談 中村正和氏 執筆家 筆禅会幹事 元高校教師
私は、故・寺山旦中居士を師匠として筆禅道を三十数年続けてきました。そして、わが師匠である寺山先生が平成十九年に亡くなられたため、その後、禅の師匠を探し続けてきました。
しかし、残念ながらこれまで縁がなく、禅の正師に出会うことが出来ませんでした。
筆禅道は、山岡鉄舟の剣禅書一如の道を求めるもので、寺山先生は、大森曹玄老師から滴水下の禅と直心影流の剣を学び、また横山天啓翁に筆禅道の書道を、日本刀の研ぎ師である山田研斎居士に観照道を参学されました。
大森老師亡き後に入門した私は、寺山先生から書と剣の指導は受けましたが、禅の本格的な指導を受けることはできませんでした。
というのも、寺山先生は筆禅道の書道が「筆をもってする立禅」であるとして本格的な禅の指導をなされず、書の道を追及されたからです。
従って、禅については、三十年来、毎朝、坐禅と瞑想・呼吸法を自分独自に工夫するしかなく、悟りを得ることが叶いませんでした。
しかし、この度、「啐啄塾」の船戸先生に御縁をいただき、そのご指導と三日間の「武士道禅」のプログラムを実践することで、本当の禅に邂逅し、小悟を得ることができたと感じて居ります。
船戸先生との有難き出会いとそのご指導とに深く感謝し、御礼を申し上げます。
「武士道禅(samuraizen)」とは、鎌倉時代の武士たちが求めた命懸けの禅という意味でそう名付けられたとお聞きしました。
日々己の命を懸けて生きる鎌倉時代の侍たちは、戦いに勝つための禅、実践に役立つ禅、無駄なく短期間で自分のものにできる禅を求めました。
それ故に、船戸先生は、長年、自分の身体を実験台としてさまざまな研鑽と工夫をされ、武士が求めた厳しい禅、格闘技として切り開く命懸けの禅、しかも、無駄なく短期間で習得できる実践的な禅を考案するに至ったということです。
私の三十年来の経験から言って、船戸先生の「武士道禅」は、今までに見たことも聞いたことも無い独創的で非常に素晴らしい禅の指導法でした。
一般の禅道場では、ただ座らせるだけで具体的な指導はほとんど行われません。そして、「悟り」とは、何十年という長期間を正師についてひたすら参禅することによってしか体得しえない境涯とされています
しかし、船戸先生の指導書には、一万時間という先生自身の禅経験で得た体験から、「侍禅」の「三日後の心境」という具体的な到達点が示されており、初心者でも、これを目標・指針として取り組み、自分自身で参禅した成果を確認することができます。
また、「修行心得」「修行の要点」としての具体的な注意事項が明確に適切に指摘されており、さらに、一日目、二日目、三日目の実践方法も、きわめて分かりやすく記されているのです。
特に、他の道場にはない船戸先生の画期的な教えが静(坐禅)に動(日常動作)を取り入れた点にあります。
また、一般の禅は、只管に身体を固定して坐る忍耐の坐禅なので、どうしても身体が硬直化し、足や腰の痛み、肩こりや膝の炎症などを起こします。
しかし、船戸メソッドでは、生きた動物である人間本来の動きを生かすことで、眠気を防止するだけではなく、意識の自己コントロールが格段に向上し、さらには、身体の疲労を減少させて、身体のコリをもほぐしてくれるのです。
船戸先生の「武士道禅」は、静に動を巧みに組み合わせることによって、呼吸に意識を集中できる状態を生み出し、短期間で悟りに至る非常にすぐれたプログラムとなっているのです。
「武士道」をテーマとして研究している私にとって、船戸先生の「武士道禅」は、とても魅力的な禅でした。
「武士道禅」は、文字通り武士が求めた厳しい命懸けの禅であり、雑念と戦い、己を克服する武士道であると思います。
そして、私は、この「侍禅」がもっとも短期間に無駄なく確実に「悟り」へと導く参禅の王道であることを体験し、実感いたしました。
私自身の三日間の「武士道禅」体験をお話ししたいと思います。
私は、今までに、一週間、五日間、三日間の断食を経験しておりましたので、今回の船戸先生の「武士道禅」をより効果的なものにしようと考えて、断食をしながら実践することにしました。
断食をすると、食事の時間・排便の時間が必要なく、その分、禅に集中できるからです。
また、断食をすると、何より「感覚」がピュア―に研ぎ澄まされるからです。
参禅の初日から朝食を抜き、いつも行っている柔軟体操、神棚・仏壇の拝礼、玄関・トイレ掃除を終えて、朝の六時から坐禅に入りました。
一日目は、雑念が多く、特に、執筆活動をしているためにさまざまな想念が沸き起こり、まさに坐禅との格闘でした。
三十分ごとに経行を行い、一時間おきに水かお茶を飲むのが救いの時間でした。
足の組み方を工夫したり、呼吸もさまざまな呼吸法を試したりで、坐ることには慣れていたつもりの私でしたが、一日中座り続けることがなかったので、前途は多難であると、改めて「侍禅」の厳しさを覚悟しました。
一日目は、食べたいという欲望との闘いであり、さらに、呼吸だけに意識を集中する格闘で終わりました。
翌朝五時半に起床し、柔軟体操、神棚・仏壇の拝礼、玄関・トイレ掃除を終えて、六時から二日目の坐禅に入りました。
午前中は昨日と同じ悪戦苦闘の状況でしたが、午後2時ころ、それは突然やって来ました。
坐禅からゆっくり立ち上がって、十分の一のスピードで経行をしはじめたときでした。
目まぐるしく動き回る小我の意識を捕まえ、これを切り捨てることができたのです。初めての体験で、まさに「小悟」と実感しました。
寝ても覚めても動き回り、自己中心的に計算する小賢しい小我の意識は、業の深い私にとっては難敵であり、これを殺すために今までさまざまな工夫や修錬を積み重ねて来たつもりでした。そして、その厄介者の小賢しい小我をようやくしっかりと捉え、切り捨てることができたのです。
それは「オッ!」「出来た!」という突然の意外な驚きであり、今まで己を支配してきた目まぐるしく動き回る小賢しい意識の正体をはっきり捉え、新しい覚醒した意識のレベルを得た感じでした。
そして、小我の意識を切り捨てると、雑念を切り捨てるのはきわめて容易になることも分りました。
二日目の夕方に、足腰が痛くなって来たので、十五分ほどマッサージして経行を十五分おきにし、一時間おきに水やお茶飲みました。もちろん、食事は一切取っていません。
そして、二日目の終わりの午後9時ころです、首・肩のこりが取れて、道元禅師の「心身脱落」の状態が訪れました。
捻りが功を奏して、身体がほぐれたのだと思います。
最終日の三日目も、翌朝五時半に起床し、柔軟体操、神棚・仏壇の拝礼、玄関・トイレ掃除を終えて、六時から三日目の坐禅に入りました。
雑念は極めて容易に切り捨てられるようになり、食べたいという欲望は、ほとんど消えて、坐禅に向き合っていました。
しかし、前日の心身脱落は消え、坐禅が振り出しにもどった感じで、午後になってもなかなか思うように心境が深化しませんでした。
午後三時過ぎになるとようやく正覚を得て呼吸に集中できるようになり、雑念はほとんど出ず、雑念が沸いてもすぐに切り捨てられるようになりました。
しかし、ここからが、また、辛く厳しい格闘の時間となりました。
それは恐らく足の組み方悪く、姿勢を前傾せずに真っすぐに立てたために、腰の仙骨に負荷がかかったためであると思います。
午後六時頃に足腰をマッサージし、ヨーガのストレッチを三十分ほど行いまいしたが、坐禅をすると足腰の痛みがさらに増し、最後の二時間は椅子に座って坐禅を行いました。
そして椅子に座ってからは、また、呼吸に集中できるようになり、最後の所では左右の腰のひねりと手の動作が舞のようになり、再び、心身脱落の状態となりました。
お蔭で、長年悩み続けて来た右肩のこりと右首筋・肩・腕・右親指の腱鞘炎はほとんど解消して治癒してしまいました。
驚くべき、船戸メソッド、船戸先生の御教えに感謝しかありません。
今回、「武士道禅」を体験して、「小悟」と「心身脱落」を得るとともに、さまざまな「気づき」あり、また、「今後の課題」も見えて来ました。
気づき
- プリントに書いてある「侍禅・三日後の心境」のおおよそは、今までの三十年来の筆禅道である程度は出来ていると思っていましたが、それがかなり曖昧で不十分なものであったことを実感しました
- 動と静とを組み合わせた坐禅が確実に眠気を防止し、また疲労を減少させ、さらに生きた動物である人間の禅、日常に応用できる禅として最適であることを実感しました
- 一日目は「知性と感情」「ああだこうだという癖」から抜け出るのが難しく、これと格闘しました
- コントロールする正覚の意識を宇宙とつなぐこと、意識を宇宙に貫くこと、または、意識を宇宙と結ぶことで吐く呼吸ごとに宇宙から(正気を)滝のように降ろすこと、ができるようになりました
- 経行が日常と坐禅の中間である故に、経行から日常に応用できるさまざまな気づきを得ました。たとえば、「心身一如」の感覚、書や剣の「心技体」の意味が経行の中で感じ取れるようになりました
- 経行のときに「ありがたい」という感情、「愛」の感情が沸き上がるのが感じられました
- 沈黙の空間的な存在を感じるようになりました
- 首と肩のこりが取れて、「上虛下実」がかなり体得できたように思います
- 坐禅明けの四日目、身体と心がとても軽く感じられ、自分の中にあるエネルギーを感じました
- 坐禅明けが断食明けであったので、食べるものがひと際美味しく嬉しく感じられました
- 半跏趺坐の仕方も、教えられたやり方が負荷のかからない最善の方法だと分かりました
以上、大変貴重な御教えを頂き、誠にありがとうございました。
ちょうど私が求めていた時に船戸先生と奇跡的に出会い、それ故に、命懸けで取り組むことができた「武士道禅」であったと思います。
それは、得難いまさに「啐啄」の正師との邂逅でありました。心より感謝を申し上げます。
♠「武士道禅」体験談 高校教師 住田航氏
京都府 ひよしフォレストリゾート
一日目
9時30分 自宅を出発
14時30分 宿舎到着
15時 禅修行についての話を聞く
「禅とは『今』に没頭、三昧になること」と聞きましたが、言葉の意味としては理解できても体感としては全くイメージが湧きませんでした。
禅修行行う上での注意事項も教えていただきました。
注意事項
- 目は閉じない(目を閉じると思考しやすくなる)
- 座り方は楽な姿勢で良い
- 数息観は使わない(数はイメージを連想させるため)「吐く」「吸う」これのみに集中する
- 仙骨を立てる
- 座ることがしんどくなったときは歩行禅に移っても良い(痛みをがまんしたまま座ると、そちらに意識が向いてしまうため)
- 歩くときは、足を動かす感覚から、重心移動、地面に触れる感覚など全ての動きを捉えられるよう丁寧に歩く(歩行禅)など他にも色々と説明を受けました。
16時30分 坐禅、歩行禅
壁に黒い点のシールを貼り、それを凝視し続けました。
坐禅をひたすらしました。このときは雑念が何なのかさえ分かっておらず、ただ座っていただけでした。これでいいのか悪いのかも分かりません。とてつもなく長く感じた時間でした。
18時 夕食
食堂に行くまでも歩行禅。
一歩一歩丁寧に歩き、一つ一つの動作を意識できるよう注意しましたが、できているのかが分かりません。
普通なら15秒程で行けるところを3分程かけてたどり着きました。
食事中は食事禅です。
箸を取りに行く手、お椀を持ちに行く手、ご飯を口に運ぶまでの動き、全ての動作をゆっくり行いました。
口に入れた後は、一旦箸を置き(箸を持ったまま噛むということは、2つの動作を行っていることになり、意識を集中させにくいため)、ご飯の味、硬さを確認しながら食べました。
食事禅をすると、米や野菜の味が驚くほど分かります。
普段の食事でいかに無意識に食べていたか気づかされました。
また、普段の半分以下の量で満腹になります。
これが本来体が求めている量なのだなと、食べ過ぎていたそれまでの自分にも気づきました。
19時 入浴
入浴のときもなるべく無意識に動かないように注意を受けました。
入浴中はどうしても気が抜けやすくなり、気が抜けるとせっかくの感覚を忘れてしまうとのこと。
こんなに緊張する入浴は初めてでした。
19時30分 禅についての話を聞く
雑念とは、今起きていること、今体が感じていること以外で頭に浮かぶ思いのこと」と教えていただき、坐禅中の自分が雑念だらけだったと分かりました。
家族のこと、仕事のこと、外から聞こえてくる鳥の鳴き声のこと。
常に『今』とは関係のないことで思考していました。
「雑念が出てきたら呼吸で切る」とのことでしたが、まずは私は雑念に気づくことから始めなければいけませんでした。
20時 坐禅、歩行禅
「これが雑念か!」と雑念の正体に気づくことができました。
しかし、気づいたときには完全に雑念のまれている状態です。
まだ、雑念の出るタイミングが分かりません。そして、次から次へと色々な雑念にのまれている自分に気づきました。自分の脳なのに自分のものじゃないような感覚になりました。
歩行禅のときも、足の動きに集中しているはずなのに、気づけばいつの間にか関係のないことを考えていて、振り払おうとしたら、また違う雑念に入っているといった具合に全く『今』に成りきることができません。
21時30分 禅についての話を聞く
禅には静の禅(坐禅)と動の禅(歩行禅や食事禅)があるが、より重要なのは動の禅であること。
今は徹底して静(坐禅)に重点を置くこと。
坐禅、歩行禅、仁王禅、食事禅、おにぎり禅、寝坐禅、朝禅など、日常生活のすべてが禅になることを学びました。
23時30分 就寝
寝坐禅をするとすぐ入眠できると聞き、やってみました。
天井のどこか一点を凝視し、呼吸、もしくは腹の膨らみに集中する。
あっという間に眠ることができました。
二日目
7時 起床
起きてすぐに布団の上で朝禅を行いました。
起きてすぐの状態は没頭状態に入りやすいとのこと。
確かに雑念にのまれている時間が少なく、「これが没頭している状態なのか!」と短い感覚でしたが感じることができたのはこのときが初めてだったように思います。
7時30分 朝食
一口一口味わいながら食べます。
こんな味がするんだと自分でも驚くほど味が違います。
苦手な食べ物の本来の味を味わいながら食べることができ、好き嫌いが無くなると言われていた理由が分かる気がしました。
9時 坐禅、歩行禅
少しずつですが、雑念が出てくる感じが分かるようになってきました。
しかし、呼吸で切ることができません。雑念の感覚が分かるのに切ることができず、そのままのまれてしまうのがとても悔しい気持ちになりました。
そして、その気持ちのまま坐禅を続けてしまい、また別の雑念にのまれやすくなるという負のスパイラルでした。
12時 昼食
おにぎり禅をしました。少し大きめのおにぎり2つとたくわんのみです。お腹も空いていたので、正直足りないと思っていました。
しかし、食事禅と同様に、一つ一つの動作を丁寧に、お米一粒の味、硬さを味わいながら食べることで、1つ目を食べ終わったときには本当にお腹がいっぱいでした。
また、おにぎりとたくわんをこんなに美味しいと思ったのも初めてでした。
おにぎり禅、食事禅のすごさを改めて感じました。
13時 坐禅、歩行禅
午前中同様、雑念の出てくる感じは分かりますがどうしても切ることができずに時間ばかりが過ぎていきました。
17時 歩行禅
外に出て歩行禅をしました。
「禅修行を終えて聞いた風の音がとても心地よくどんな音楽よりも素敵だった」と聞き、自分もその感覚を体験したいなと思いました。
歩行禅をしながら道路を歩くと、道路の凸凹具合が良くわかり、歩いているだけなのですが何故か気持ちが良かったです。
17時30分 坐禅、歩行禅
相変わらず雑念だらけでしたが、歩行禅のおかげもあってなのか、雑念を切れない自分に対していちいち反応せずそのまま呼吸を続けることができるようになってきました。
雑念に捉われていた自分をいつまでも引きずらないことで、呼吸に入り込みやすい状態になったように思います。
18時30分 夕食
出てきた食事を見て「絶対に多いな」と思いました。(これも雑念なのですが…)案の定、途中でお腹いっぱいになってしまいました。
20時 入浴
21時 坐禅、歩行禅
ふと、雑念が出てきたときに呼吸で切ることができました。
成功率はかなり低いのですが呼吸に集中することで雑念を消すという感覚が分かったときは不思議な気持ちになりました。
ただ、まだ雑念が出そうになったときに切るのではなく、雑念にのまれてから切るという状態だったので、没頭する時間より雑念の時間のほうが圧倒的に長かったです。
23時30分 就寝
三日目
7時 起床
何も考えずトイレに行き顔を洗って戻ると、「トイレや洗顔に行くときも禅修行で気を抜かないように朝の禅の効果が無くなる」と注意をしていただきました。反省。
7時 朝食
ただただ食べているつもりでしたが、ふと我に返るとやはり雑念に入っていました。まだまだ悟りまでは遠いなと痛感しました。
しかし、「早く悟りの境地に入りたい」などの考えは雑念でしかないので、そのことすら気にしないよう(それが私にとっては難しかったです)食事を続けました。食べ終わる頃にはもちろん満腹でした。
8時30分 坐禅、歩行禅
雑念が出る感覚に気づく→雑念にのまれる→のまれていることに気づく→呼吸で消す、の繰り返しでした。上手くいけば雑念が出る感覚に気づいたときに消すこともたまにできました。
しかし、まだまだです。ひたすら坐禅と歩行禅を繰り返しました。
13時30分 昼食
ひたすら目の前の食事に集中しました。手の動き、口の動き、体の動き、全てに意識を向ける。
辛さは無く取り組むことができました。
悟ることとは違うかもしれませんが、食べるってことでこんな感覚になれるのだと一人感謝していました。
14時30分 坐禅 歩行禅
ただただ繰り返すのみです。ここにきて「悟れるのだろうか」「きちんとできているのだろうか」と不安が出てしまう自分が情けなく感じました。
その思いが悟りから遠ざけているにも関わらず。雑念を切る感覚は分かっているので、もうこれを繰り返し繰り返し行うことでその感覚をより強固なものにしていくほかないのだと思い、坐禅、歩行禅をし続けました。
18時30分 夕食
食事に没頭する感覚に気づきました。
何を食べているとか、周りの音がどうだとか、そんなのことを気にもせずただ噛んでいるだけの感覚になっているときがありました。
気づいてしまうと、そこに雑念が浮かんでしまい、また思考が始まってしまったのですが、食事中にも没頭の感覚があるのだと体験を持って知ることができたのは大きな収穫でした。
19時30分 入浴
20時30分 坐禅、歩行禅
歩行禅も、初日や2日目はただゆっくりなだけで感覚を捉えきるスピードでは無かったのだなと自分で気づけるくらい、この日の歩行禅はゆっくりだったように思います。歩行に集中することで雑念を切ることができたのもこの日でした。少しずつ日常の動作で没頭ができようになってきました。
25時 就寝
四日目
7時 起床
7時30分 朝食
「どんな味か」と聞かれたときに「○○です」答えるのは雑念に捉われている証拠だということが、よく分かる気がしました。
「○○です」と答えるのは脳の記憶であり、それはもう『今』ではなく『過去』だということが頭でなく体で理解できました。
この感覚は忘れないようにしたいと思います。普段の生活ではなかなか難しいですが、一人のときや時間に余裕があるときは食事禅を取り入れていきたいです。
8時30分 坐禅、歩行禅
3日間の総まとめではないですが、もう一度ひとつひとつ感覚を意識しようと思い、雑念の出る感覚、雑念にのまれていることに気づく感覚、呼吸で切る感覚、歩行のときに足を動かす感覚、足の裏が地面に触れる感覚。初日と比べて坐禅が楽しく感じました。
9時50分 宿舎チェックアウト
感想
約4日間の禅修行を終えての率直な感想は「禅ってすごい」の一言です。
禅を通して味わった感覚は私にとって本当に有り難い経験でした。
呼吸、歩行に没頭すること、米の味や硬さを味わうこと、今までの自分がどんなに無意識に生活していたか痛感させられました。
当たり前にしていたことって、実は当たり前ではないんだなと、本や人から聴く話で頭では理解していましたが、今回初めて身をもって教えていただきました。
食事ひとつでも意識するのとしないのとではこんなにも味が違うんだなと。
幸せは自分の周りにあふれているけれど、それをいつの間にか感じ取れなくなっているだけなのかなと今では思います。
子どもが生まれて、触れ合っていると本当にそう感じます。
赤ちゃんは、お金があるわけでも、好きな趣味があるわけでも、美味しいものを食べているわけでもないのに、とても幸せそうな顔で笑い、その笑顔を見る私も幸せになります。
ただただ『今』を生きることが実は究極の幸せなのかなと思います。
船戸さんに「赤ちゃんをよく観察してください。究極の無我ですよ」と言われ、禅の目線で赤ちゃんを観るのですが、本当にすごいです。
純真無垢というか、一切『自分』というものが無いですし、それなのにこんなにも周りを幸せにしている。
「赤ちゃんは親の師匠」という言葉の意味が良く分かりました。私が思い出さないといけないのは、赤ちゃんの生き方なんですね。
船戸さんと出会うまでは、自分が持っていない何か(知識や考え方)を新たに身につけることが大切で、そのために本を読んだり講演会に参加したりしていました。
これらのことがダメなこととは思いませんが、今回禅修行をして、生まれてきた我が子を観て、私自身も赤ちゃんの頃には持っていた『悟りの心(無我)』をもう一度思い出すことが何よりも大切なのかなと感じています。
27年間生きてきてこびり付いた五欲を手放すためにも船戸さんから学んだ『武士道禅』をこれからもただひたすらに実践していきます。
4日間本当に有難うございました。船戸さんと出逢えたこと心から感謝しています。
今後ともよろしくお願いいたします。



高校教師 住田 航 拝
オンライン講座受講者
演題:私の想う「もののふ」とは
講師:啐啄塾代表 船戸正義先生(もののふの会顧問)
日時:令和6年2月25日(日)20時~22時
参加者:32名
<講義の感想>
・禅の本質を分かりやすく説明していただきました。若い時分の参禅日記を大変興味深くうかがいました。やはり修行途中に修羅場をくぐることが必要ですね。
・日頃疑問に感じていたことに対するお話が沢山あり、大変興味深く聴かせていただきました。無我の境地に至れるよう精進して参りたいと思います。資料は後日学ばせて頂きたく是非共有をお願いいたします。貴重な御講義を頂きまして、誠にありがとうございました。
・自分には雑念しかなく、常に何かを求め、不安になっています。今を生きることを大切に最初は意識しながら過ごしてみます。あるがままになることは人間本来の姿になることなんだと思うことができました。本日は、本当にありがとうございました。
・まず最初に思ったことは船戸先生の禅の研修を受けてみたいと思いました。子供も小さく3日間は難しいですが、1日のおにぎり禅の研修、もののふの会で企画してくれたら嬉しいです。私も昔から悟りの境地に憧れて、何度か坐禅をしにお寺にかよっったり、自宅で座禅もどき?をして、心を落ち着かせるということはするのですが、悟りの境地がどんなものなのか想像もつきません。今、この一瞬に生きる、ということが全く違い、普段は、雑念の中に生きていると思い知らされました。
・知的に遅れのない自閉症の子どもを受け持っております。自分が好きなことには活動できるが、それ以外は受け入れられない。本日の話で自我に振り回されていると感じています。その子に禅を体験させて効果はあるものでしょうか。(世界が狭いため、世界を広げられるのか)
・今に集中すること。これが全てですね。瞬間に出てくる雑念を掴むことができたのは、私の禅修行の最大の収穫でした。あの感覚を一度でも体感したからこそ、自宅での禅でも正しい取り組み方ができています。10年前に船戸さんから教えていただいたことがたくさんフラッシュバックしました。素晴らしいご縁をありがとうございます。
・我々は今という一瞬しか生きられないということを改めて思った。それから、私は毎日を無意識状態で雑念にまみれて過ごしていることに気が付いた。
・船戸先生、本日は貴重なお話ありがとうございました。3日間の武士道禅の境地を今一度掴まねばと思いました。食事、歩行、生活全てが禅。指導する者が覚悟を決めるからこそ、子どもにも伝わる。心に残る言葉をたくさん頂きました。ありがとうございます。
・「禅」について、ここまで体験談を聞かせていただいたのは、初めてです。禅を通して、到達する状態に、自分も到達したいと思う心と、厳しさに対して、どうだろうかという氣持ちが交錯しています。私自身は子どもを導く立場ですので、まずは、私がこの心境を味わい、そして、子どもたちへ伝えていくことが大切だということが伝わってきました。このことが、子どもたちが将来活躍していくことの原動力になると思います。船戸先生、今日は、とても貴重なお話をありがとうございます。
・ついていくのがたいへんでしたが、世に行われている禅宗の禅と武士道禅がまったく違うことはよく分かりました。小生は武道修行の中で三昧と言うことを教わってきましたが、やはりそのような境地が大事であると感じました。これも継続しないとすぐ元に戻ってしまいますね。つぎは実践の仕方や日常での具体的な取り組み方、教育現場での生かし方をご教示いただきたいです。
・船戸先生の悟りに至るまでの記録が大変参考になりました。私も日々の生活の中で「今」を生きる実践を継続し、自分の使命を全うしたいと思います。
・禅の深い活用法が知りえた事が良かったです
・禅と武士道禅の違いについて、もっと深く学びたいと思いました。ありがとうございました。
・船戸先生からご指導を受けてから1年半たち、忘れてしまっていたことも多々あり、あらためて自我というフィルターを通して物事を見ている自分に気付きました。「子どもを教育する先生が現状のままでいる限り、間違いなく輝く人間に育つことはない」この言葉を重く受け止めています。船戸先生の教えに立ち返り、一つ一つの動作に心を置くことを意識していきます。
・本日はありがとうございました。 2022年11月に1day研修を受講して100日間報告させて頂きましたが、その時と変わらぬ感動がありました。その当時、一人静謐な時間を持つということ自体も新鮮なことでした。 無我の境地となり、余計なフィルターを通さず、あるがままの自分に返る、今を生きる、高い集中力で以て毎日を生ききること。鎌倉時代の武士が目指したように、そうした境地に至りたい。今現在はその時の熱量でもって望めておりませんが、本日の講義を機に、再度禅に取り組んでみたいと強く思いました。 ありがとうございました。
・禅修行の三日間で得た心境を再び味わうことができた講義でした。船戸先生が現代に甦らせてくださった武士道禅を、もののふの会が主軸となって教育者に広げていくことで、胆力のある真の教育者を増やしていきたい。そのためにも、自分自身が日々の修行を怠ることなく継続し、悟りを目指し、感化力を高めていきます。本日は誠にありがとうございます。
・初めて参加しました。子供の寝かしつけ・家事をしながらで画面オフミュートで失礼しました。禅についてもっと知りたいと思いました。日本の未来子どもたちの未来のために自分が学び、子供の前に立ちます。貴重な講座をありがとうございました。
・自我が取れれば善しか残らない。そういう心にたどり着きたいと思った。心の捉え方の癖を取る方法としてマインドフルネスを実践してみたい。
・禅をやってみたくなった。無我を体験したい。
・禅に取り組んだことがないので新鮮に頭に入りました。やらなければならないことの項目が増えました。参加ができたりできなかったりでしたが1年間日本の未来の為にありがとうございましたm(_ _)m
・禅の素晴らしさについてたくさん教えていただき有難うございました。教員以外でも日本のことに精通している方からの學びはとても大切だと思います。これからの教員は若い世代が増えてきます。だからこそ先人たちが今まで大事にしてきた「禅」を取り入れていきたいと思います。
武士道禅1日体験参加者の声
♠東京都 大手銀行員幹部 H氏
2022年11月27日 横浜南研修施設
私は、武士道を体現した生き方をしたいと思い、これまで論語や大学など四書五経の他、吉田松陰や 西郷隆盛らの書籍を読んできた。最近では、仁義礼智信など武士の徳目に沿った生き方ができているかを、日々日誌で振り返るなど、努力をしてきたつもりであったが、自分自身、何かが足りないという感覚を拭いきれていなかった。
そんな中、致知7月号に登壇された中村先生にお会いする機会があり、もののふの会へ参加させて頂くことになった。私自身は、もののふの会の理念「人格を磨き、人間力を高め、日本人としての自覚と誇りを取り戻す」に強く共感していたが、その理念の実践の上では、私自身の「自己の確立」が最重要であると考えていた。「二刀流の侍と武士道」で読んだ船戸先生が提唱する「武士道禅」が気になっており、中村先生に質問したところ、その場で船戸先生と電話でお話する機会を得て、11月下旬に一日研修を受講させて頂くことになった。
稲盛和夫さんが禅に取り組まれており、書籍の中でも真我で物事をとらえることを訴えておられたが、中々実践には至らず。また、円覚寺でもオンラインで座禅を案内されていて一度参加したことがあったが、心を落ち着けることにはなるものの、何か求めているものと違っていた。それに対し、武士道禅とは、昔の武士がそうであったように、「悟りを得る」ことが目的と言い切られており、自分の抱えているモヤモヤや閉塞感を断ち切れるかもしれないと、期待感を持って臨ませて頂いた。
そこで得たことは記述の通りだが、船戸先生のセミナーを通して特に痛感させられたことは、私自身が、武士道を「道徳の実践」としか捉えられていなかったということだった。昔の武士が目指した心境、胆識がどういうものであるか、行住坐臥のあり方を理解せず、修業出来ていない中で、いくら経書を読んでみても、極端に言えば、ふさったコップに水を注いでいるようなものであり、人間力向上のためには、先ずは自分自身の器をつくることが大事なんだとようやく理解できた。研修を受ける迄の私は、時間があればインプットに時間を費やすことに注力し、静かな時間を持ったり、今に集中することなどとは無縁の生活を送っていたと感じている。
研修中、座禅を行うと、心が落ち着く感覚を持てた。そこまでは巷で行われる座禅と同じだと思うが、静かな時間を持つことを避けてきた自分からすれば、それだけでも効用を感じた。しかし、武士道禅的観点からいえば、正直どこからどこまでが雑念なのかすら、よく分からない状態が続いた。だが、情報や知識で塗り固めた自分でなく、裸の自分として器を拡大しようとしていると考えると、内発的動機が高まっていくのがよく分かった。
研修を終えて1週間経つが、船戸先生に毎日、武士道禅の取り組みを報告している。卒啄の言葉通り的確なアドバイスを頂けることで、ほぼ毎朝晩禅に取り組む事が出来ているが、心境が少しずつ上がってきていると実感している。
具体的には、以下の通りの効果が得られた。
今考えても仕方ない感覚的な悩みから少しずつ解放されている
無駄な時間の浪費がなくなった
朝晩の座禅と、日常の中でも無意識時間を減らしていくことを意識し、自己の確立を目指し てまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
♠静岡県 中学校 教師 鈴木洋介氏
2022年11月9日 横浜久良岐能舞台
ご指導ありがとうございました。
まずもって感じたことは、毎日の生活がいかに雑念だらけだったということです。
ちょっとした間でも、何かをしている時もいつも雑念が湧いていたことには自分でも驚きました。
お昼のおにぎり禅では、あんなにもゆっくりおにぎりを食べたことは今までなかったので、いつも感じたことがないことを感じることができました。
食感、味、米粒が口の中でどう移動しているのかなど、細かなところまで氣づきました。
またゆっくり何回も噛むことで甘さが出てきて、満腹感も感じることができました。
禅は座ってやるものだけではないということは初めて知りました。
座禅以外にも歩行禅、仁王禅と自分に合ったものを自分のタイミングで行っていきたいと思います。
大事なことは日常でいかに意識できるかだと思います。昨日教えていただいたことをとにかく意識して過ごしていきます。
今日は特に歩く際そして食べる際に意識できました。
毎朝、夜も含めて少しでも時間があったら必ず禅に取り組みます。
9時間という時間でしたがあっという間でした。本当にありがとうございました。
❤京都府 女性経営者
昨日は、『禅』の一日体験コースを受講して来ました。
お寺での『禅』は何度か体験した事がありますが、『禅』は『静』のみと思っていましたが、『動』を取り入れる事により、日常生活そのものを『禅で生きる!』という、新しい学びを体感させて頂きました。 これを体得出来れば、人間であれば当たり前に浮かんで来る『雑念』が少なくなり『一瞬一瞬今を生きれる』ようになり、本当の『空』の時間を過ごせるようになります…
感情に振り回されない生き方は、ある程度出来るようになりましたが、すぐに浮かんでくる雑念を消す事は、なかなか出来ませんでしたが、雑念を消す方法も学びました!
『おにぎり禅』も体験しましたが、1つのおにぎりを1時間かけて食べる事により、様々な感覚が呼び覚まされました(^^)
文章ではお伝えする事は、かなり難しいですが、この身体の感覚は初めてです…
これを生きるには、訓練が必要ですが…(^^;;
最幸のご縁を頂きました、先生、皆様有難う御座いました♡
♠京都府 不動産会社経営
いままでの知識では、肉体の苦痛が伴うものだと思っていましたが、そうではないことを実感しました。
型に拘らず身体への負担は軽くしながら、自分の心と向き合って戦う。
心との格闘技のように感じました。
雑念との戦い方もわかったような気がします。
今では「さまざまな思いにとらわれないことです。
五感に感じることも、心に浮かぶ思念にも、なるがままにそれらの一切に引き込まれないように」といわれると、分かったような気になっていましたが、どうすればよいかは分かっていませんでした。
それが今度の経験で、一呼吸に徹し、五感を通して入ってくる情報も、心に浮かぶ想念も雑念なのだから、それに気づき切り捨てなさいということで雑念の対処法がわかりました。
さらに踏み込んだ合宿研修にも来月参加したいと思います。
❤横浜市 介護士
一呼吸に集中することで、雑念が見えてきました。
一度気づくと、次々と雑念が現れてきました。
今までは意識したことがなかったので、その多さに驚きましたね。
一瞬を意識することにより、心はその一瞬には一つしかできないことも分かりました。
これからは雑念を切り捨て、今に集中することを自分のものにしたいと思います。
♠日本総合研究所 部長 歌丸公夫
あるのは今だけ、自分が決定した事項を変更することに抵抗感がありましたが、今回の研修を通じ、日々是新を実感した結果。
目標を達成するためには、常に今すべきことは何かを考えるようにしていこうと思いました。
今までは、雑念に囚われていて自分自身を窮屈に縛っているようでした。
変更した時には、その理由も同時に部下に伝えていきます。
肩が軽くなったような気がします。
感謝します。
❤群馬県 自営業
昨日教えていただいた事を意識してみました。
そうしたら自然と姿勢が良くなり、雑然とした部屋み置いてあった霧吹きスプレーから悲しみが伝わって来ました💧笑
丁寧に生きよう、と思いました!
色々反省〜💦
お家を片付けながら掃除機禅をしてみました!
時間がかかりましたが凄く綺麗に掃除できました!
ありがとうございます♡
是非また教えて頂きたいです。
宜しくお願い致します!
♠埼玉県 経営者 武士道研鑽会
船戸さん
お疲れ様でした!
やはり船戸さんの佇まいは威厳がありますね(😳)
近くにいさせてもらえる事に深い感謝がありますm(_ _)m
おにぎり禅、あらゆる「当たり前」が「有難い」事である事を掴むための道なのではと感じさせていただいた時間でした。
時間軸、空間軸、更には次元階層に至るまでの全てを包括した八百万へ対する深い感謝を気づかせてくれる道、更には感謝という概念すらないまさに無為自然な心の姿にたどり着ける道だと、…僭越ながら言葉にさせていただきました。
船戸禅の三日間。いま、もの凄く過ごしたい時間です。
明日の経営塾の課題をこれからこなすので、今夜は寝れませんが、おにぎり禅のお陰で、その状況にまた感謝を感じてます。
ありがとうございますm(_ _)m
♠熊本県 会社員
早速、昨日の夕飯時におにぎり禅を家族でしました。^ ^
妻が思った以上に喜んでいました❗️ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。ß
「武士道禅3日間研修」後の日常成果報
【禅修行:A氏】
朝、昼、夜の座禅を行いました。
起きてすぐ取り組めるよう、ベッド脇の壁にシールを貼りました。
今日は休日でしたので、家で過ごしました。朝、庭に行き、畑に水をやりました。植物や自然がとても愛おしく感じました。
そのまま家回りの庭の草抜き、木々の剪定を行いました。草木と一体となる初めての感覚で、心地良い中で一つ一つ丁寧に作業しました。
朝6時から10時まで、4時間やっていました。^ ^
目の前の一つだけに夢中に取り組んでいたため、終わった後、とてもきれいになった庭を見て驚く程でした。
朝昼ご飯も、ゆっくり食事禅をしました。^ ^
今日は、とにかく部屋の中を整理しました。寝室の衣類、階段、書斎など、一つ一つ整理していきました。
いつもなら、思い出だからやいつか読むから、、と言ってなかなか捨てられなかった衣類や雑誌類も、「今」だけを生きていると、考える余地もなく、いらないとわかり捨てられました。ゴミ袋特大5袋分^ – ^ 寝室も書斎もとてもすっきりしました。
普段書斎で過ごすことが多いので、書斎にも禅スペースを確保しました。明日、Amazonから座布団が届きます。また写真を送ります。
【禅修行:C氏】
私は、通常通りの勤務でしたが、朝起きると同時に禅をして、落ち着いて朝を過ごせました。
学校の机、教室の教卓にもシールを貼り、いつでも禅を意識できるようにしました。
今日は、ドトールで朝食を取り、コーヒーとサンドイッチをしっかりと味わって食べました。
88回噛むと、食べ物が液状になり、それを飲み込むようになりました。
それほど、一噛み一噛みに集中できました。
昼は、いつも色々と買うのですが、おにぎり2個で充分だと気付き、そうしました。
仕事が終わり、帰り道に呼吸を意識して歩いていたら、ほとんどの生物は空気無くては生活できない。
同じ空気を吸っていきている仲間なんだ、しいては、全ての生物は、同じ地球に住む仲間なんだと思い、道端の草が異様に愛おしく感じ、帰り道に一人涙ぐんでしまいました。
私の3日間は、ようやく禅の入口に入れたようなものだと思いました。これからが本番だと気合いを入れて、日々を生きます。
私はいつも読み返せるように、頂いた初伝、中伝をファイルに入れました。
皆様の工夫もシェアしてもらえると嬉しいです。
【禅修行:A氏】
今朝もアラームもかけずに4時20分から目覚めました。
3日間の修行中も感じましたが、朝の目覚めがとてもよいことが私にとって大きな変化です。
目が開いた瞬間に、今をつかみ間髪入れずに一日を始めることができる。
朝の座禅を行い、読書をしました。心を入れずに只読むことを意識しました。
下村湖人著『青年の思索のために』PHPです。
禅で学んだことに通ずるものがあることに気付きました。
【禅修行:C氏】
おはようございます。
昨日から子供が熱を出し、今日は一日子守です。
子供が泣いたり、色々要求したりしますが、そうした環境こそ、禅をする絶好の機会だと思います。
今日一日、中伝の教えを忠実に生きます。
【禅修行:A氏】
3日間に渡る武士道禅修行が終わり、帰ってきました。
我々3名の「悟り」に向けて、全力でご指導頂いたもののふの会顧問、啐啄塾(そったくじゅく)代表の船戸正義先生には本当に感謝の氣持ちで一杯です。
鎌倉時代の武士が命懸けで「悟り」を目的とした禅。
本当の意味での命懸けとは何か。
それはこの一瞬一瞬の「0.1秒の今」を命懸けで守り続けていくこと。
自我が薄れていくことで、今まで味わったことのなかった「無」の心境に短時間でしたが辿り着きました。
只(ただ)在ること、只見ること、只聞くこと、あるがままの自然体の状態がこんなにも落ち着いて穏やかだったとは知りませんでした。
3日間の修行を終え、外に出て歩き出した時、温かい風が全身をおおいました。あたたかな風の命に全身が包まれ、自然と涙が溢れました。
禅修行は、まさに格闘技そのものでした。
強い意志がなければ、雑念(よい思いも思考も全て雑念)を捨て切り続け、「0.1秒の今」の呼吸を守り抜くことはできません。
一点のみ集中し目を凝視させます。
修行の最後は雑念を一切入れない全身全霊の強い呼吸と一点凝視を1時間し続けました。
涙と鼻水がずっと出ていましたが、日本を守り抜く意志と根性でやり抜きました。
終わった後は、深い愛情と強い意志力、無を持った新しい人間として生まれ変わった自分がいました。
我々は武士道禅を身につけた啐啄塾(そったくじゅく)塾生としてその責務を果たします。
3日間で得た禅の境地を完全に自らのものにし、悟りをひらけるよう、さらに日常生活での100日禅修行に励んで参ります。
そして、私も塾生として成長し、さらに1人でも多くの方々に武士道禅を広げていけるよう、弛まず精進し続けて参ります。
【禅修行:A氏】
心が乱れることなく、一日を終えることができました。
家族4人で外出中、車の中で、妻に禅修行で学んだことや禅のすばらしさを伝えました。
「いつもは塾や勉強会から帰ってくると、真剣な顔つきで眉間にしわを寄せていることが多いけど、今回は本当に変わったね。顔が常に仏のよう。」
私が学んだことをあれこれ解説すると「よくそんなに覚えているね。
アウトプットするにはちゃんと分かっていないとできないね。」私「それも禅のおかげだよ。自分を入れずにただ聞くことをずっとやっていたから、聞いた話が鮮明に入ってきているよ。」なんて言う会話もありました。
私の変化に一番近くにいる妻が一番驚いています。
仏の状態がずっと続いてほしい、と言ってもらえました。
0歳の息子が泣こうと腕をひっかこうとも、何も心は騒ぎません。愛おしく抱いているだけです。
これまでの自分は、「あぁ、明日までにこれをやらなくちゃ」「今夜は〇〇会議がある」などと、思考が常に未来に言っていたため、せわしなく心に余裕がない日々を送っていました。今は違います。そんな風に未来のことをあれこれ考えて不安になったり、焦ったり、投げ出したくなったりすることはありません。
ただ今この瞬間に集中するだけです。
【禅修行:A氏】
昨晩就寝時間が遅くなり2時に寝たが、起きようと思っていた3時間後の5時にアラームなく目が覚める。
ここで完全に起きれば良かったが、一瞬のすきができ次の瞬間6時30分に。4時間半睡眠だがすっきりしている。
朝の坐禅を行う。
中伝にあった「燃えるような真剣な禅」を意識すると、昨日の朝より短時間で0.1秒の今の心境に入ることが出来た。
今日は学校への出勤日となる。心境を乱さぬよう注意して過ごしたい。
【禅修行:C氏】
息子が39度の高熱を出し、泣いたり喚いたり、色々と心が乱れてしまうことに気付き、その都度シフトして、今に集中するようにした。
病院に行く途中、コンビニのコーヒーを買う。
病院の待合室では、禅に集中。呼ばれるまで1時間半。
普段なら携帯いじり、遅いなぁと心の会話をしていたが、心を今に向けていたおかげで、そのような会話は0だった。
私の様子に影響受けたのか、息子も静かに待っていた。
改めて、今までがどれだけ今に生きていないかを気付く良い1日になりました。
【禅修行:B氏】
毎朝、5分程度の禅を行っている。朝の禅を行うことで、ぼおっとすることなく朝の支度が出来る。
学校へ行き、駐車して1分間の親指凝視。これだけでも、心を落ち着かせることが出来る。
禅をすることで、日々の妄想、想像を途中で断ち切れるようになった。
イメージとしては、妄想が出た瞬間、パッパッパとテレビの画面を切り替えるようなものだろうか。
私の今までの人生は、頭の中の想像に支配されていたので、それをコントロールできる力を得れたのは幸福である。
禅は朝や夕だけでなく、普段の仕草のすべてに禅的動作を入れることだと思う。
少しでも心が乱れたら、パッパッパと氣持ちを切断し、常に今に生きることだと思う。
それが現在まで続けられているのは、本当にありがたい。
禅修行が終わってから、とにかく毎日続けることが肝要である。
私も1ヶ月はその境地を維持できたが、日常生活に溶け込む中で、禅修行が終わった境地が薄皮のようにだんだん剥がれていくのを感じ、危機感を覚えたことがある。
そんなときは、30分ほどの歩行禅などを取り入れ、何とか境地を維持してきた。
境地を維持することで、他者にイライラすることがすくなくなる。
妄想に支配されなくなる。他者に遠慮せず、自分の主張が出来るようになる。
もちろん、禅修行直後の境地がベストであるが、日常生活に溶け込む中で、禅が生活になじんでくるのも、悪いことではないと思った。
禅と生活を切り分けるのではなく、生活と禅を一体化させることが大事であると感じている日々である。
【禅修行:C氏】
通勤時間、ほとんど今を掴むことができましたが、仕事で話をする際は、普段通りになってしまう自分に気付きました。
そんな時は、すぐにPCに貼ってある黒丸シールを見て、呼吸を整えます。
また、食事の量がいつもの半分ほどに、間食も減りました。
一噛み一噛みに集中していると、気も紛れず、満腹感も高いです。
親指凝視なら電車の中でもできますね。
【禅修行:H氏】
先日は3日間の修行、ありがとうございました!
おかげさまで、修行後も毎日2回禅を実践しており、今のところ、下記の3つの効果を得ることができております。
①天命、夢志大和魂の実現の一つ一つの行動に集中できている
②先行き不安がなくなり、「今」に至誠を尽くせば恐れることがないと、明朗快活に日々過ごせている
③今まで不明確にしてきた課題に向き合い、改善に向けた行動が取れている
上記のことができるようになったのは、禅の修行を経て、心が澄んだからであると実感しております。
これからも、どんなに短い時間でも実践し、天命、夢志大和魂の実現に狂愚至誠を貫き・尽くし、命を最大限に輝かせていきます。
明日も、何卒よろしくお願い致します。
【禅修行:A氏】
学校での勤務日。明らかに変わったこと。
私のひとりひとりへの声掛けや相手の目を見てしっかりと伝えること。後輩はいつもと明らかに変わった私の穏やかな声掛けに、和んだ笑みを見せてくれた。
研究部長を務めている研究会のイベントが明日行われるのだが、コロナにより急遽ハイブリット開催とした。参加申し込み者ひとりひとりにメールで送る。
明日のレジュメやアンケートフォーム、名簿作成など一つ一つ丁寧に取り組む。
電話対応や校舎の改修工事の方の要望など、間髪入れずにすぐに対応する。
これまでだったら「今忙しいのにぃ」「しょうがない」などという心の声があった場面もあったが、今はそんな心の声も出てこない。
つまり、反応力、瞬発力が格段に上がっている。
初めての体育主任の後輩の運動会の提案文書を一緒に確認する。こういった時の思考力は半端ない。
普段余計な思考をしていない分、大事な時にはスマートに切れ味よく脳が回転する。
一つ一つ丁寧かつあらゆる想定をシュミレーションしながら提案に修正を加える。
後輩の仕事の進め方について、これまでの自分だったらきっとイラっとしていただろうという場面があった。
頭では、これは・・・と思ったのだが、不思議と心は騒がず澄んだまま。
これはこれでよいではないか、そう思い、許し、私の一声「うん。それでいいよ。」で話が円満にまとまった。不思議な体験だった。
私の場合は、食事の時の禅、一回一回はしを置き、50回嚙んでから飲み込む。この時が一番心が落ち着く。
磯子修行での三日目の朝、カフェでサンドイッチとコーヒーを一点を見つめながら1時間かけて食べた時のあの感覚がしみついており、よい境地を取り戻すことができる。
明日は、準備してきた教育イベントである。遠方より招いた講師との出会い、参加する先生方との出会い、研究部長としての2回の挨拶。
どんな挨拶をするか何も考えていないが、とても楽しみだ。
【禅修行:C氏】
息子の調子が悪く今日も一日看病。すぐに癇癪をおこし、物を投げ、泣きと、大変な状況下でも、淡々と受け止めることができた。
世の母の偉大さを改めて知る。
もし、禅修行をしていなかったらどうなったいたか?考えただけで恐ろしい。
妻の第二子妊娠が確定。
ツワリが本格化、サポートに一掃力が入る。ただただ、今できることに集中するのみです。
【禅修行:B氏】
本日は勤務なしのため、禅を比較的多く取り入れることが出来た。
食事中、歩行中など、日常のあらゆる場面で、呼吸のみに意識することで、妄想を途中で断ち切ることが出来た。
壁を見ながらの凝視禅により、感覚が繊細になったように感じた。
これまでは、他人が言った何気ない言葉を思い出し、イライラすることがあったが、そういった思い出し怒りをコントロールできるようになった。
明日からも、この境地を維持していきたい。
【禅修行:H氏】
本日も2回禅の実践を致しました。
計画通りにいかなくて、冷静さを失っても、「今」を全力で過ごせば大丈夫だと落ち着かせることができて、行動し続けることができました。
明日も継続して実践し、積み重ねていきます!
「今」を意識して、過ごせるようになったことがとても大きな力になっていると実感しております。
【禅修行:A氏】
朝の???4分ほどの語りであったが、次のようなメッセージをいただいた。
「A先生!本日はありがとうございました!志の熱さが言霊に乗って、グッときました
Sちゃん、感動で涙ぐんでました。
時折ご参加下さいねー!感謝 」
こんなふうに、短時間で感動で涙ぐんで頂くことなど今までなかった。
地区のX研究部の夏季研修会を主催。始まる前に、来てくださった先生方一人一人に自己紹介と相手のお名前をききに伺う。
何も躊躇することなく自然と体が動く。研究部長として一人ひとりとしっかりとつながる。
挨拶ももちろん何を話すのかを一つも考えずに前に出る。「今」この瞬間に湧いてくる想いをそのまま話す。
部研究部長としての挨拶ももちろん何を話すのかを一つも考えずに前に出る。
「今」この瞬間に湧いてくる想いをそのまま話す。
講師の先生から「開会の研究部長の挨拶で、あれだけ熱量をもって話す人を初めて見ました。
あの挨拶で感動してしまいました。
会のスタートから火炎放射でしたね!研究部長さんにあんなふうに皆さん一人ひとりが大切だと言われたらうれしいですよね。
あんな風に心のうちを出してくれる人を実は若い人たちは求めているのんですよね。」と言っていただく。
帰り際、ある先生に、ぜひこれからも顔を出してくださいね。研究部をよろしくお願いしますね。とお伝えすると、「A先生がいる限り、参加しますよ。」と言っていただける。
禅修行を行ったことをFBで知っていた後輩からは、「A先生、修行をされてオーラがちがいますね。」と言っていただける。
講師の先生から「A先生と出会えたことが財産です!」とメッセージをいただける。
昨日も、ある先生と電話で話した際に「A先生に出会えたことが自分にとって宝物です。」と言っていただけた。
今までこんな短期間の中で、このような反応をいただいたことはなかった。
確実に変わり始めている。
そんななか息子0歳が、発熱により病院へ。
のどの痛みで飲み物もしっかり飲めずに、泣く時間が多かった。
しかし、私の顔を見たり、私が抱いたりすると、不思議と泣き止み、ある一定時間落ち着いていた。私の心が落ち着いているから、その波動が息子にも伝わっていて、一緒に落ち着けるのかなと思った。
以前の自分だったら、悲しんだり、心配したり、泣き止まないことにイライラしてしまったりしていただろう。
しかし、心は乱れない。病気も自然現象なので受け入れられる。痛みにも耐えねばならない。
今は生き抜く強さを身につけるいるのだろう、がんばれ、と応援できる。
家で飼っているチワワ。もともと妻の家から連れてきたペットで私自身動物があまり得意な方ではなかったのであまり触ったりしていなかったのだが、今日は3回ばかり気が付いたら私のそばに寄ってきでいた。どうやら動物も寄せる力があるようだ。
今日も明らかな変化、進化を感じた一日だった。
【禅修行:A氏】
本日も朝、昼、夕の座禅と食事の禅を行う。
特に朝は燃えるような真剣な座禅を行うことで気合が入る。
取材インタビューの事前打ち合わせを行う。 知り合いの方がご縁をつないでくださった。
自己紹介や自分のビジョンを語るときに、これまでよりも堂々とかつ自然体に、しかも魂から話せていることを実感する。
今日は、新しい時代を創る人たちをつなぐニュースサイトの方より、 相手の方にも響いたようで、とても感動してくださる。
今 この団体も有志の方々で、世界の平和は日本から創る、今が日本が新しく変わるとき、ということをコンセプトにしているようで、日本の歴史認識やこれからの日本の在り方、今がとても大事な時期だということなど、とても意見があう。
日本から世界平和を広げていくという思いなど一致していることが多く、また話の中で禅につながる考え方があったりして、 まさに運命的なタイミングだと感じた。
禅を学んだことをお伝えしたら、それはすごいつながりだと驚いていらした。
また、今日はKプロジェクトでお世話になっている大先輩の方と電話で話をする。
S大会の方のプレゼンター募集の締め切りが迫ってきているが、目標の人数に全然足りていないことをとても不安に思っていて、焦っている様子であった。
私はちっとも焦っていない、心の状態であることを伝え、禅で学び習得した、自我をなくしていくことや人と話をするときに自分を立てずにただ聞く、ただ見るのことや、悟りの境地についてお話をした。
【禅修行:C氏】
朝、禅と共に1日を始めた。
息子が泣いても、喚いても心を落ち着けて対応できた。
食事の量があきらかに減っているが、満腹感が違う。
家を出て、駅まで歩いている時に、自分の精神状態が分かるので、電車の中で再度禅を行う。
こうして、自分の状態を意識して、すぐにセンターに戻ろうとすることができています。
【禅修行:B氏】
今日は原爆忌のため、朝から出勤。久々に会う子供たちとの触れ合いに心が浮かれるが、常に今に集中するよう意識した。
子供たちに対し、日本が神武天皇から八紘一宇精神を脈々と受け継ぎ、平和を作り上げてきたこと、日本は国際連盟にて世界で初めて人種差別撤廃条約を提案したこと、そして、平和は願うだけでは作り上げられないことなど、広島市が従来伝えてこなかった授業を行うことにしていた。
予想外にも、特別支援の教師が終日教室にいることが分かり、さすがに8月6日に、他の教師の前で神武天皇の話をすることに、少しの迷いが生じた。
しかし、目の前の子供がこの話を聞くのは今日しかないと思い直し、堂々と授業を行った。
未来を憂うことなく、今に全力投球できたのは、禅のおかげだと思う。
我々人間は生きている中で六道輪廻するという船戸先生の言葉を思い出した。
気持ちが高揚(極楽の心境)の時に隙ができやすい。これから戦っていく身として、隙をつくっては敵に突かれることを常に意識したい。
【禅修行:D氏】
朝、戦略ミーティングが6時よりあることをすっかり忘れており、7時起床後に電話で気付き入る。
いつもであれば、申し訳なかったという気持ちを引きづりやすいのだが、「すみませんでした!うっかり忘れてしまっていました!」と謝り、何もそのあとに引きずるということがなくなった。その後、クリアな心境で会議のまとめを聞き、SスクールやKサミットについての詳細をつめていくことができた。
今日はオンラインの道場などでお世話になっているX祝賀会に参加した。
今日集まってくる人たちは、日ごろから志や人間力を磨き、日本文化や精神を広げたり、志からのビジネスを体現したりしている人たちばかり。
オンラインでは知り合いでも、リアルで会うのは初めての方ばかりであった。
会の手伝いのために早めに会場入りした。
私が入ったとき、この準備を進めてきた中心メンバーたち約40名が、円になって、会成功への心を一つにする場面だった。
この時に、場がもつオーラ、波動の高さをものすごく感じた。一人ひとりが高い志をもち、日本から世界の平和をつくっていこうということを本気で志している人たちが、円になって気持ちを高めていることによって、これまでに感じたことがなかった人間のもつ目には見えないエネルギーを感じた。一人ひとりが志をもち、さらに人間力を磨きあい、日ごろから実践している人たちが集まり、つながることで無限の力が発揮でき、本当に和の世の中をここから創っていけるのではないかということを感じた。
会の中でも、禅で得た境地、自分をたてない、自我を捨てる、ただ見る、ただ聞くを守りながら、参加した。
自分から相手にいかなくとも、自然といろいろな方が寄ってきてくださり、一人ひとりとの名刺交換や自然体での会話をしむことができた。
禅を学んだことによる今日の気付きをまとめると、
①自分の自我を捨て、無の状態でいることで、人のもつオーラやエネルギーを感じやすくなったこと
②対面での交流でも一人ひとりと落ち着いて会話できたこと
特に、人の話を最後までしっかりと聞くことができるようになったこと
③うれしいときはうれしいという素直な感情がわいてくること
名刺交換をした一人ひとりへ、明日感謝のメッセージを送り、今日の良縁をしっかりと結んでいきたい。
会食中も、口に入れたらコップをおく、口に入れたらはしを置くというように一つ一つの動作を丁寧に、区切りをつけることが沁みついてきている。
【禅修行:C氏】
朝、禅と共に1日を始めた。妻が早朝から産婦人科に検査に行くため、息子のご飯などを作り、慌ただしい朝が始まった。
妻が帰宅し、Z研究協議会に参加するため出かける。
開始ギリギリに間に合ったが、急いで会場に入り、呼吸が乱れてしまった。
その後、講座の最中、禅修行の前の自分でいることに気づく。
昼食時に、おにぎり禅と1分禅で立て直した。
夜は、実家に息子を連れてお泊まり。たくさん出てくる料理に、食べ過ぎてしまう。
夜、寝る前に禅をした。
学び
①開始時間に遅れそうと焦り、走った時点で禅から意識が飛んでしまった。
②どこにいても、一呼吸、一噛みに全力を尽くし、今を掴み続けること。
【禅修行:H氏】
2日間それぞれ3回ずつ禅の実践を致しました。
禅の修行後の初めてのセミナー開催で、塾生の方から言われたのが、「Hさんと話をしていると、自己肯定感が上がり、勇気や自信を貰える」ということでした。
これは、「今」に意識を集中させ、夢と志と大和魂に火をつけることが、自分の役割であることが腑に落ちて、松陰先生を意識できたからであると実感しております。
これからも、禅の実践を通じて、至誠を貫き・尽くす活き方を実践できる自分へと成長させて、天命を全うできるように、継続して参ります。
【禅修行:A氏】
今日は妻と山梨へ家族旅行。
見知らぬ地を訪れる際は、ついうわついた心になり、事故の元になる。運転中も、常に今を意識し、全集中した。
コンビニのおにぎりを食べると、薬の味を感じ、まずく感じるようになった。
禅によって、感覚が繊細になってきたのだと思う。
旅行中も、一人でいる時間は、一点凝視禅を行なっている。
ふと気を抜くと、つい職場の人間の嫌なところざかしを初めてしまうのは、自分の悪い癖である。
禅によって、そんな自分を客観視し、途中で止められるようになった。
ホテルに帰ったあと、忘れ物を買いにコンビニに行かなくてはいけないことが発覚。
禅修行前であれば、面倒くらいという感覚が先走り、イヤイヤ行っていたが、今回は何も考えず、スッと行けた。
明日も旅行中であるが、気は抜かないよう、常に今に集中したい。
【禅修行:H氏】
本日2回禅の実践を致しました。
意見の押し付けをしてしまい、同志との関係が崩れつつあったのですが、それぞれの意見や目指す行動があってはじめて活性化することが腑に落ちて、誠心誠意を込めて、反省の気持ちをお伝えしたところ修復することができました。
以前の僕なら諦めておりましたが、修行の成果が出て、自我を少しでも失くし、同志の身になって考えられるようになったからかもしれません。
今後も継続し、同志の夢と志と大和魂に火をつけて、命を最大限に輝かせられる存在になれるよう、精進致します!
【禅修行:A氏】
朝の座禅を短時間でも真剣に行うことでスイッチが入る。
昨日より息子と妻が入院となってしまっていたため、本日は娘を習い事に連れて行ったり、帰ってきてからも娘と遊んだりと、娘と多くの時間を過ごした。
娘が習い事をしている間はカフェで一点凝視の禅を行う。
外食中、突然2回の停電(後で雷が原因だと知る)があり、まわりではざわざわとなっていたが、一切心境は乱れなかった。
禅を行うことで、急な事態や予期しない出来事にも冷静に対処できるということが分かった。
まさに武士もいつでも冷静に対処できるよう、その心境を身につけたのだろう。
【禅修行:B氏】
旅行二日目。大自然を散策する中で、気づくことが多かった。
自然は本当に美しい。山並みの稜線。滝の水の流れる様子や音。
それだけでなく、名もない木や側溝の水の流れ、風呂の水が作る模様でさえも、神秘的に感じる。
今までも、自然は美しいと感じてきたが、過去の記憶に照らし合わせたり、自分の思いが入っていたりした。
今日は余計な感情を入れず、自然をそのまま感じることができた。
自然の調和は美しく、全て自然の流れに任せてもいいのではないかとさえ思った。
しかし、天が我が国を作らせたのも目的があり、八紘一宇を国是に掲げる我が国が潰えることは、天意に反すると信じたい。
自然に身を任せることは動物でもできるが、天の意志を感じ、行動することは人間にしかできない。
人間として、日本人として生まれてきた意味を問い直し、この国を守るため、今を全力で生きていきたい。
【禅修行:A氏】
R社のインタビュー取材を受ける。
Q1.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
Q2.それを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
Q3.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?
Q4.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
Q5.その発見や出会いの背景には、何があったのですか?
これらの質問について答えていく。
言葉一つ一つに淀みがなく、自信と誇り、そして覚悟をもって話すことができる。
インタビュー後、サポートスタッフでお入りいただいていた方(今日はじめてお会いした方)から「こんな先生が日本にいたのかととても感動し、胸が熱くなりました。
自己肯定感が低い子どもたちを多くうむ日本の戦後教育に不満をもっていたが、あきらめていた。
しかし、何とか日本人史観の歴史教育や日本精神を教育に復活させようとこんなにも情熱を燃やしている先生がいらっしゃるとわかり、本当に日本が変わるんじゃないかと希望をもてた。
A先生のような先生がもっと増えていったら確実に日本はもっとよくなる。そう思わせてくれた。」と感想をくださった。
もう一人の方曰く、この感想を述べてくださった方は普段口数も少なく、こんなにも熱く語る姿を初めて見たので驚いたと言っていた。
魂の誠の言葉は、相手に伝わり、相手の魂にも届いてくれるのだと感じた。またよいご縁に結ばれた。
未来を考えた時に不安になる瞬間もある。その時は、「今」に集中することで、前のように心が思いっきり乱されたり不安に押しつぶされたりすることもなくなった。未来を変えたければ、「今」を真剣に生き、「今」を変えていくしかない。今日も、未来を変えるための「今」を積み重ねていく。
【禅修行:C氏】
身体の疲れが溜まり、鍼灸院に予約を入れるが、数日先になる。
身体の疲れを感じながらも、禅をして、呼吸に集中する。
一呼吸一呼吸、身体の老廃物が出ていくように感じたが、今に集中し、呼吸を続ける。
しばらく禅をしていると、疲れが気にならなくなる。昼には、横になって天井を見ながら禅。
午後からは、落ち着いて仕事に取り掛かることができた。
【禅修行:B氏】
旅先にて、妻が体調不良を訴え、急遽帰広島。
そのまま、2週間程度の入院をすることになった。
禅をしていなければ、その場その場の対応に困ったり、後悔をするなど、過去や未来を行ったり来たりしていただろう。
場面ごとに最適な選択を取ることができたのは、禅により今に生きることができているからかもしれない。
本日から2週間、自宅は一人となる。
洗濯、食事の用意などを、一つ一つの作業を丁寧に行うことが出来た。
お盆が近いので、ご先祖様へ奉納する写経を行った。
一文字一文字、丁寧に心を込めて書くことが出来た。
人間誰も、天に導かれている。何があっても、他人を咎めず、天を恨まず、常に天へ全託、感謝する境地を維持したい。
【禅修行:E氏】
○気づき
・禅をするようになって、今から過去を、今から未来を見ることができるようなっている。
常に『今』から見ることで、冷静に物事を捉えることかできている。
○課題
・今から今を見るときに、感情的になってしまうことがあるため、常に『即根底』に居続けられるように取り組んでいく。
【禅修行:B氏】
午前中に職場へ行き、午後は入院先へ荷物を届けるなど、雑務をこなした。
久々の一人暮らし状態。色々と氣持ちの浮き沈みはあるが、考え方によっては、夏休みで仕事もなく、禅行に集中できる絶好のタイミングをいただいたと解釈することも出来る。
私にとって、禅行での一番の成果は、妄想を断ち切ることができるようになったことだ。
これまでは意味の無い思考ループで頭がいっぱいになっていたが、それを自覚して断ち切れるようになったことは、今後の人生にとっても大きな収穫である。
夜はリハーサルを行った。指摘していただいた修正事項について、「面倒だ」などという氣持ちは起こらず、即実行することが出来た。
また、一文字一文字に集中して、写経を行うことができた。禅行のおかげである。
【禅修行:C氏】
朝、晩と禅をする。
禅をし、呼吸に集中していくと、身体の感覚の違いがよく分かるようになった。
気持ちがブレた時は、すぐに呼吸に立ち返るのが、習慣になりつつある。
常に今を掴み続けるのが、課題です。
【禅修行:A氏】
禅をやるようになって、自我をできる限り捨てられるようになった。と同時に、公への思いやここぞという時の義憤についてはどのようにして扱えばよいのだろうか。
昨日は、一昨日の自分な正直な気持ちを言えなかったこと、ここで本気が伝わらなければ、私はこの組織から迷いなく離れると。
本気で関わっているからこそ、自分も気になっている想いをそのままにせずに伝えることで、それぞれの想いを分かち合うことができたきっかけとなった。
勇気をもって言うべき時には言う。こうしたことも禅に取り組み胆力を身に着けたことと関係するのだろうか。
とにかく、言って後悔はないし、自分も周りも鼓舞できたことはよいことだと思う。
最後まであきらめない姿勢、ぶっ倒れながらもゴールする、すべてをやり切ったと言えるまで、全身全霊を注いでいく。
一時の感情任せの言葉でなく、覚悟を持った本心からの言葉であった。
その後、メンバー5名から、「思いを受け止めた。伝えてくれてありがとう。」「勇気をもって伝えてくれてかっこよかった。」「まだまだあきらめたくない!」という激励や理事長や副理事長も本気で動いている。本気だからこその決断、分かってほしい。という意見など、それぞれの本音や本気がぶつかり合った。
専務理事とも1時間。理事長とも1時間。それぞれ電話でも話し、思いを伝え合った。
【禅修行:H氏】
今まで、「時間がかかりそう」と先の不安な未来から、行動できないことが多かったですが、本日本氣になって取り組んだところ、想定の半分の時間で終わった体験をしました。
この体験から、今に意識を集中させて、本氣になって取り組めばできないことはない→松陰先生の至誠に通ずるものがあると実感致しました。
明日はさらに今にフォーカスして、本氣で取り組んで、この実感を自分のものに落とし込んで、磨きをかけていこうと思います。
【禅修行:A氏】
燃えるような命懸けの座禅から一日が始まる。
今日は???の第一次審査会の日だ。
208名の?プレゼンテーション3分動画(志+背景)を3人一組になってそれぞれ審査し、基準に沿って点数をつけ、一人一人に対してよかったことと改善点について魂からフィードバックをする。
午前8時30分にスタートし、昼食休憩と夕食休憩を入れて、午後9時までぶっ通しで行う。今日は約30名と向き合う。
禅の修行をしたことで、我のないまっさらな自分で、若者たちの志、心の奥底にある崇高な魂の声に触れることができる。
特にその志のよい部分についてのコメントがどんどん出てくる。
過去3年間、この審査にたずさわっているが、今年ほどどんどんコメントがあふれてくることはない。
今2時であるが、大体毎年一日中審査をすると疲れ果てているが、今日はそんなこともなく、まだまだいけるぜ状態である。
禅をやることで、集中力や持続力、今一瞬を無駄にしないで切り込んでいく力が確実に高まっている。
明日死んでも後悔しない今日を生きよう。
魂を燃焼させよう。
自分が生きた証を己の生き様で証明しよう。
【禅修行:B氏】
本日は終日、自宅にて雑務を行う。
禅修行前だったら、「あれもやらないといけない、これもやらないといけない」と、焦って暗い気持ちになっていたが、禅のおかげで淡々と一つ一つの作業を行うことが出来た。
日本に迫り来る危機を知る度、本当に10年後の日本は安泰なのか?と不安になる。
不安な気持ちになったときは禅を入れる。
自分にできることはわずかしかない。
しかし、知ってしまったら行動したい。北条時宗のごとく、ここぞという時に全力を発揮できる胆力を身につけたい。
【禅修行:B氏】
朝、起きてから5分間の一点凝視禅を行った。
本日は妻の入院先へ荷物を届けに行き、元の職場に寄ってみた。
元の職場の人には数ヶ月ぶりに会ったが、以前とは違った感覚を受けた。
とても仲良かった上司と話しても、割と淡泊になっていたり、逆に元の職場ではあまり話さなかった後輩が、めちゃくちゃ話しかけて来たりと。
同じ相手のはずなのに、過去の記憶通りの人はいなかった。
結局、誰もが日々変化しており、そして誰も今にしか生きられないと言うことか。
帰りに、スーパーに寄った際、レジ待ちをしていると、順番抜かしをしてきたご婦人がいた。今までだったら、腹がたっていたが、なぜかほとんど何も感じなかった。
今までだったら、後から思い出してイライラしていたのに、そういうのも無かった。不思議である。
また、夕方、5分間の激しい一点凝視禅を行った。大声で唸りながら、雑念を入れないよう只親指凝視に集中した。
5分間のアラームが鳴った後、不思議と、顔を覆っていたモノがすっと取れたような感覚になった。
花を見ても、何か良く分からない。面倒くさいなどの感情も起こらない。ただ、目の前のことを淡々とやる状態になった。
きっと、この状態がずっと続くことはないだろう。だからこそ、このような本氣の禅を頻繁にやる必要があるのだと、心から感じた一日だった。
【禅修行:B氏】
本日で100日を迎えた。しかし、100日という節目は関係ない。
また新たに、共に禅修行に励む3名の仲間ができたからである。
禅修行前は運転中はBGMをかけるのが当たり前になっていたが、禅修行後は何もかけず、ただ運転に集中するのが日課となった。
妄想がでてくると、すぐに軌道修正するというよい循環が起きている。
実家に帰り、母がたくさん話をしてくるのを、淡々と聞くことができた。
今までは話を聞くと一喜一憂していたが、相手の話をそのまま受け止めることができるようになったのは、禅のおかげである。
お盆中は、ご先祖様と対話する大切な数日間である。ご先祖様の思いを受け取り、生きている人間としての使命を果たしていきたい。
