受講者の感想

武士道禅3日間研修受講者の声(一部紹介)

♠武士道禅体験記 稲見大海 私塾運営 28歳


令和5年2月8日~10日

【武士道禅3日間研修を終えての感想】

船戸先生、3日間大変お世話になりました。

今後、研修を受けられる方の参考になれば幸いです。

さて、この研修ではひたすら「雑念、妄念を切り捨てる」事に取り組むわけですが、私の場合、他の方と比べてそもそもの雑念・妄念が少なかったようです。

時折船戸先生が雑念がどれくらい出ているかチェックしてくれるのですが、その結果に、船戸先生も「おかしいな。普通の人は、雑念に苦しむのだが、、、雑念が出ている事に気が付いていないんじゃないのか?」と疑問を持たれるほどでした。

私の場合は、呼吸の感覚や足の裏の感覚に注意を向けることが「心地いい」と感じていたため、雑念もあまり湧いてこず気持ちよく取り組んでいました。

1日目はそうしてあっという間に過ぎてしまいました。

2日目も同様に午前中が過ぎました。

気持ちがよいので苦も無く取り組んでおりましたが、いわゆる「悟り」の心境というものは感じませんでした。

船戸先生にご相談した所、「緊張感をもって、真剣に取り組むように。

0.1秒の命がけの呼吸をするように」とのアドバイスを頂きました。

そこで私は取り組む姿勢が間違っていた事に気が付きました。

禅に取り組む気概が足りていなかったのです。

「雑念」という敵があまり現れないことをいい事に気を緩めてしまっていたのです。

そこからは、「五感をフル活用して感覚に全集中する」という事に取り組みました。

1時間ほど続けていると今度はとてつもなく疲れてしまい、集中力が著しく低下してしまいました。

船戸先生にお聞きすると、「いまだかつてそんな人はいなかった」と言われ、この取り組み方が間違っている事に気が付きました。

「真剣に命がけで行いながらも余分な力は抜く」という感覚を探りながら取り組みました。

そして、高い集中状態をキープできる感覚がつかめるようになってくると、足と畳が一体化するような感覚を得ることができました。

2日目はそこで終了となりました。

さて、最終日の3日目。

引き続き、昨日の感覚を意識して取り組みました。

徐々に集中力が高まり、落ち着きが深まっている事を体感しました。

そして、16:00頃歩行禅をしている最中に、足の裏から全身を貫くようなエネルギーを感じました。

全身が震えるようなエネルギーです。

地球からくるエネルギーと言いましょうか、宇宙からくるエネルギーと言いましょうか。

とにかく大きなところから送られてくるエネルギーを感じました。

そして、「ああ、全ては繋がっている」という事を体感したのです。

それはとても満たされた感覚でした。

そして、「世の中で悩み苦しんでいる人を救ってあげたい」という慈悲の心が自然と湧き上がりました。

しばらくその感覚を味わい、船戸先生に報告し「よかったね。おめでとう」と握手をして終了となりました。

武士道禅を通して得られたことは、下記の三点です。

・余計な雑念、妄念が出てきたときに瞬時に切り捨てる事ができるようになった事。

・自分がやりたい事、やるべき事に集中して堂々と取り組めるようになった事。

・人生観が「何かを得ようとする人生」から「何かを与えようとする人生」に切り変わった事。

今後の日常生活においても禅的生活を心がけ、己の志に向かって進んでいきたいと思います。

船戸先生、貴重な体験を与えて下さり、誠にありがとうございました!


♠武士道禅体験記 田中亨典 企業家


令和4年10月11日~13日

【参加動機】

武士道や禅といった、今の私たちからは失われているが、昔の強かった日本人が大切にしていたであろう教えに興味があったこと、また、私自身がふだんの生活の中で不要な思考が蔓延っている気がしていたので、これは参加するしかないと思い飛び込んでみました。

【概括】

3日間のプログラムのうち、3日目の昼までは本当にできるのか不安しかありませんでした。

しかし、先生が当初から仰っていた「3日目の夕方ですよ」という言葉の通り、夕方に劇的な変化が私の中で起こりました。

先生の教えに本当に助けられた3日間でした。

【3日間の詳細】

(1日目)

知識として教えていただいた「雑念を流す」「今を生きる」ということ、これについては仕事柄マインドフルネスを扱う人たちとの関わりもあり、なんとなくの理解はしていました。

でも、瞑想などをしっかり実践したこともなく、正座もできない、そんな私が大丈夫なのか、という不安からのスタートでした。

実践スタートし、案の定、全くできず。

1回の呼吸の間ですら、湧き上がってくる雑念を抑えることが出来ず、またその雑念に気付くこともできず妄想へと沈んでいく時間がただただ過ぎていきました。

しばらくたって妄想に気付き「あ、まただ・・・」と落ち込み、何回やってもそれが治らず、ただただ自分の出来なさ加減を責めてました。

先生の言葉掛け、実践サポートにより、雑念に気付くのが早くなるという成長をすることが出来たのが唯一の救いでした。

(2日目)

1日目と同じ状況を繰り返し、先生からはマインド面、具体的なやり方などのアドバイスを頂く中で、ようやく1呼吸の間だけ雑念が起こらない状況を作り出すことができるようになりました。

ただ、これを継続することが出来ない。

体力・精神力のなさを痛烈に感じ、自分を責めつつ、もう2日終わってしまうという焦りと戦うという、あまりよくないスパイラルに入っていました。

そんな中でも、先生からの「大丈夫だから」という言葉が私を支えてくれて何とか2日目を終えることとなりました。

(3日目)

変化があったのは昼食後のことでした。

「ヤバイ、もうあと何時間もない・・・」という焦りのある一方で「絶対にモノにするんだ」という気持ちが発火したことで、自然と自分の中から強い呼吸が生まれてくるようになりました。

自分の中で眠っていた獣性、動物的な感覚が目覚めたんだと思います。

その動物的な感覚に従って、呼吸を続けると、今までにない集中力と我を忘れて呼吸に没頭できる自分が出てきて、それを継続すると自分というものがよくわからなくなり、周りのものとの一体感を感じるようになりました。

畳の上をゆっくり歩くと、足裏と畳がピッタリくっついているようで、まるで畳の草履を履いているような錯覚、また、自分の手を動かすと、0.1秒の今を生きる自分の手元を見て感動してしまい、自然に涙が溢れてきました。

これが先生の仰っていた感覚なのかと、初日から仰っていたように「3日目の夕方だから」という言葉を信じて、あきらめずにやってきて本当によかったと思えた瞬間でした。

【すべてを終えて】

おおげさな表現かもしれませんが、この修行はすべての日本人が受けるべきものだと思います。

私も3日間が終わっただけなので、何も言える立場ではありませんが、多くの日本人がこの修行を受けることで、我が国全体がやさしさと強さを取り戻し、幸せで豊かな暮らしを次の世代へ繋いでいけるのではないかと思います。

船戸先生、3日間ありがとうございました。

これからも更なる深みを目指して修行を続けて参ります。


❤武士道禅体験記 田中依子 小学校教員


令和4年8月17日~19日

初日

正座をして禅をはじめたところ、足がしびれてきて集中力を欠いてしまった。

そのことを船戸先生に伝えると「だから座布団を使ったり、半跏坐にしたり工夫してと何回も言っていたよね。」と言われハッとした。

聞いているようで聞いていない。

自分のいいようにしか聞いていない。

「私はけっこう正座が得意だから…」そう思っている自分がいるから、聞き流してしまっていた。

それからスイッチが入ったように船戸先生の言うことがまっすぐに入ってくるようになった。

「ただ聞く」それがまず大きな発見だった。

一点を見つめて「今、今」と集中していると、外の物音はほとんど気にならないが、船戸先生が立てる音にすぐ雑念が湧いてしまうことに気づいた。

先生が水を飲む音、携帯電話を置く音、そのたびに「あれ?私のやり方、違うのかな?」と不安になる自分がいた。

また、先生が部屋を出て行かれると安心して、戻って来られると緊張する自分もいた。

先生の一挙手一投足が縁となって、隙が生まれ、そこから妄想に入り、心が乱れる自分に気づいたので、その雑念を待ち構えて「関係ない、関係ない」と切っているうちに、先生が戻って来られると安心する自分になっていた。

初日はその変化がとても大きかった。

宿泊施設に到着すると、いつもと違う匂いがとても気になった。

次の日、先生に伝えると「以前よりも五感が鋭くなっているからね」とのこと。納得をした。

香りが自分に与える影響の大きさに気づくとともに、今に集中すれば、香りも気にならなくなると知った。

外の世界ではすぐに自分の心が乱れてしまうこと、雑念にすら気づかないいつもの自分になっていることを体験した一泊目であった。

二日目

雑念のない無の状態をできるだけ長くできるように取り組んだ。

相変わらず出てくるのは「このやり方でいいのかな?」ということ。

先生から「雑念は出ていますか?」と質問されるうちに、「雑念っていったい何?」と雑念の定義や、自分に雑念が出ているのかいないのかも分からなくなっていたので、先生に「雑念って例えば何ですか?」と質問をした。

船戸先生が例として出してくれた雑念はほとんどなかった。

「私の雑念のほとんどは、このやり方でいいのかな?ということです。」と伝えると、では一緒にやってみましょうと、黒点凝視⇒指禅⇒仁王禅⇒歩行禅とフルコースを一緒にやってくださった。

船戸先生の隣に座り、先生の息合いに合わせて同じ動作をし、歩行禅では後ろにピタッとついて動きをまねした。

とたんにやり方についての雑念が取れ、驚くほど集中できた。

そこから自分ひとりでも禅に集中できるようになった。これが二日目の大きな気づきであり変化である。

その後、試行錯誤の結果、私の場合は仁王禅と歩行禅の組み合わせが一番集中できることが分かった。

やってみないと分からないということ、そして私の思考の癖(正しいやり方か?)に気づくことができた。

二日目の宿泊は場所に慣れたせいもあり、初日よりも一つ一つの動作に集中して過ごすことができた。

三日目

朝から磯子公会堂は高校生でいっぱいであった。

そんな中でも呼吸に意識を向けることで、心静かにスタートまでの30分を過ごすことができたのは大きな成長である。

三日目は隙を作らない守りを強くすることに取り組んだ。

二日目に発見した歩行禅と仁王禅の組み合わせをさらに進化させ、強弱をつけることで守りを強化できることを発見した。

三日目になり、「本当に悟りまでいけるのだろうか」「先輩方はつかんでいるのに…」という別の雑念が出てきたが、雑念の正体は自分の思考の癖であり、対処の仕方も分かっていたので、落ち着いて禅に集中することができた。

午後になり、「そろそろ歩行禅や仁王禅をしなくても坐禅だけで大丈夫ではないですか。」と言われたので坐禅に切り替えた。

仙骨を立て、腹式呼吸を意識して取り組んでいると不思議な感覚になった。

心はシーンと静まりかえり、心臓の音だけがドクドクと聞こえる。

意識ははっきりとあり、心地よい。

自分が受精卵になって母親の胎内にいるような感じ…。

後から先生と話し、あれが坐禅三昧だったのか、それはよく分からないけれど、「あるがままの自然体」を体験することができた。

最後に先生に写真を撮ってもらい、初日の写真と比べて驚いた。明らかに顔つきが違う。

これからも日常生活の中で武士道禅を続け、子供たちの前に立つ者として、自分自身を高めていきます。

船戸先生、三日間ご指導くださりありがとうございました。

先生の的確なご指導があったからこそ、無の境地の一端をつかむことができました。これからもご指導よろしくお願いいたします。


♠「武士道禅」体験記 小出潤 小学校教員


令和4年7月29~31日 

3日間に渡る武士道禅修行が終わり、帰ってきました。

我々小出潤、伊藤優、星陽介3名の「悟り」に向けて、全力でご指導頂いたもののふの会顧問、啐啄塾(そったくじゅく)代表の

船戸先生には本当に感謝の氣持ちで一杯です。

鎌倉時代の武士が命懸けで「悟り」を目的とした禅。

本当の意味での命懸けとは何か。

それはこの一瞬一瞬の「0.1秒の今」を命懸けで守り続けていくこと。

自我が薄れていくことで、今まで味わったことのなかった「無」の心境に短時間でしたが辿り着きました。

只(ただ)在ること、只見ること、只聞くこと、

あるがままの自然体の状態がこんなにも落ち着いて穏やかだったとは知りませんでした。

3日間の修行を終え、外に出て歩き出した時、温かい風が全身をおおいました。

あたたかな風の命に全身が包まれ、自然と涙が溢れました。

禅修行は、まさに格闘技そのものでした。

強い意志がなければ、雑念(よい思いも思考も全て雑念)を捨て切り続け、「0.1秒の今」の呼吸を守り抜くことはできません。

一点のみ集中し目を凝視させます。

修行の最後は雑念を一切入れない全身全霊の強い呼吸と一点凝視を1時間し続けました。

涙と鼻水がずっと出ていましたが、日本を守り抜く意志と根性でやり抜きました。

終わった後は、深い愛情と強い意志力、無を持った新しい人間として生まれ変わった自分がいました。

ビフォー、アフターでは3人とも表情、立ち姿が明らかに違います。

ここまで熱心にご指導してくださったのも、

船戸正義先生が日本の未来を本氣で憂い、

何とかしたいと我々もののふの会の決起メンバーに

かつての武士のような胆力を身につけ、

何としても日本人としての誇りと自覚を取り戻す教育の復活と、日本の復活を願っていらっしゃるからです。

我々は武士道禅を身につけた啐啄塾(そったくじゅく)塾生としてその責務を果たします。

3日間で得た禅の境地を完全に自らのものにし、

悟りをひらけるよう、

さらに日常生活での100日禅修行に励んで参ります。

そして、私も塾生として成長し、さらに1人でも多くの方々に武士道禅を広げていけるよう、弛まず精進し続けて参ります。

関わって下さる全ての皆様、いつも有難うございます。

これからも変わらず、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。

令和4年8月2日 

理念〜人格を磨き、人間力を高め、日本人としての自覚と誇りを取り戻す〜

「もののふの会」副会長 小出潤


♠「武士道禅」体験記 伊藤優 小学校教員


令和4年7月29~31日 

船戸先生

3日間、ご指導ありがとうございました。

様々な場面で船戸先生の深い愛情を感じました。

また、家庭のことで行けるか迷っていた時に、船戸先生のアドバイス、本当に嬉しかったです。

今回の修行では、

未来は今の連続でしかないことに気付きました。

一呼吸に全力を傾けることができれば、未来永劫全力を傾けることができる。

また、おにぎりと一つになる。畳と足が一体になる。今までにない感覚で、涙が出てきました。

この修行で得た成果を、現実世界に活かすことで、

御恩に報いたいと思います。

今後とも、よろしくお願い致します。

伊藤優


♠「武士道禅」体験記 片川儀治 小学校教員


令和4年5月3~5日 久良岐能舞台  マンツーマン指導希望

○所感(心境の変化)

一日目

1.講話を受ける。

・現代人のほとんどは、過去から引きずる想い、トラウマや、未来への不安、期待の想いに引きずられ、今に生きることが出来ていない。そのため、心の病、パニック障害等を引き起こし、自殺者も増えていく。人は、今の瞬間にしか生きることが出来ないのである。

・六界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)はあの世の話ではなく、現に生きる人間が一日の内に体験していることである。(起こる出来事に反応し、修羅の心境に至ったり、一時の快楽で天の世界を味わったりする)ほとんどの人は、現世で六界から逃れられない。

・禅によって、六界から脱することが出来る。(「何かがあったから楽しい」ではなく、今の瞬間が全て楽しくなる)六界から脱した世界は、①声聞(価値ある話を聞く)②縁覚(良き出会いがある)③菩薩(悟りを得るため修行する)④仏(悟りをした人)である。

・瞑想は、目を閉じて気持ちよくなることで、一時的に雑念がない世界を体験する。しかし、目を開けておらず、心と体が一体となった状態ではないので、今に生きることはできず、悟れない。

・禅寺の多くは座禅を行う。しかし座ったまま一点を見つめるだけでは、悟りの境地に至るのは困難である。禅が終わった後すぐに作務(寺の仕事)を行うが、作務の単純作業において心と体を一体にできれば良いが、ほとんどの修行者は作務と禅を別物と考えているので、作務に移った瞬間、禅行から離れてしまう。

・禅で味わうことのできる「今」とは、0.01秒の世界。0.01秒前の想いを、今に引きずることがなくなる。瞬間瞬間を切り取ることが出来るようになる。

・頭で考えてもだめ。体験しないと分からない。(禅書を読んでも体験していない人は理解できない)

・禅を行い、肚ができると、縁が変わってくる。

2.動と静を交互に行う禅を実践。

・はじめは雑念が何かも気づかなかった。

・頭に浮かんでくる思い、考え、情景が段々と分かってきた。

・雑念がない感覚を求めようとするが、次々と浮かんでくる雑念に苦しんだ。

・数時間禅を行うことで、30秒くらいは、雑念が出てこない世界に行き着くことが出来た。

・ホテルに帰ってからの単純作業を心身一体でゆっくり行うよう意識することで、今までは全て体が勝手に単純作業行っており、心がついていっていないことに気づいた。(一度にいくつもの作業を同時に行っていた)

二日目

・「一度に一つのことしか行わない」を実践できるようになった。

・雑念(突然フッと浮かんでくる思い、情景)と、妄想(雑念から広がっていく世界)が異質のものだと気づいた。

・昨日よりも雑念が少なくなった。

・先生の話を聞く際、手振りが少なくなった。(手振りのほとんどは無意識に行っていたので、心と体が一体ではなかった)

・外界の刺激(音、声など)は気にならなくなったが、目に入ったものから、過去の思い出などが妄想として繋がっていき、それを切り取るのに苦しんだ。

・「雑念を断ち切るための呼吸が甘い」と指導をいただき、真剣に呼吸を行うようになった。(それまでは、呼吸の真剣度が今どのくらいかが分からなかった)大きな鼻息、唸るような声で邪を祓う感覚で真剣な呼吸を行った。すると、一気に雑念が少なくなった。

三日目

・朝起きた瞬間から禅行を行うことが出来た。(布団の中で、心と体をくっつけて腕を回し、起き上がるなど)

・雑念は悪霊ではなく、只の思い込みであることに気づいた。敵は外にあるのではなく、自分の中にあったのだ。所詮雑念であることに気づくことで、たとえ雑念が浮かんできても、受け流すことができるようになり、雑念が怖くなくなった。(雑念を言葉で対処するのではなく、今、今、今、無、無、無と瞬間を切り分ける感覚で消していく)

・雑念や心のざわつきがあっても、瞬間を切り分けることで、次の瞬間に引きずらなくなった。

・歩行禅を行う二十分間、全く雑念が出てこなかった。

・三日目が一番落ち着いていた。全て終了した後、先生の講話を聞いている間、「只聞く」という感覚になり、心が恐ろしいほど落ち着いていた。

・「一度に一つのことしか行わない」ことで、所作が以前より美しくなった。

・外の自然が恐ろしいほど美しく、目に少し涙が浮かんだ。

○終了一日後の心境

・職場において、禅行前と同様、子どもと話したり、授業を行ったが、すぐに禅の心境に戻れるようになった。

・心がざわめくことがほとんどなくなった。子どもに対しイライラすることがほとんどなくなった。

・職場においても、歩行中、手洗い中など、様々な単純作業で禅行が行えた。

・日常生活に戻っても、禅行前の世界には戻らないという自信を手に入れることが出来た。

○禅行が終わった後の境地

・雑念など、所詮は頭が作り出したもの。何も恐れることはない。

・これまで抱えていた悩みは、すべて心が作り出したものであった。心が自由自在であることに気づいた今、恐れるものは何もない。

・未来に対しても、何の不安もない。何か起これば、そのとき全力で対処すればよいだけ。

・人が何を考えていようと、気にすることはない。只、堂々としておけば良い。

・焦ることはない。たとえ問題が起こっても、淡々と対処すればよい。

・日常生活の中でも、いつでも禅修行を行える。禅修行を意識的に行うことが大事。

○次に体験される方へのアドバイス

・はじめは、自分がやっていることが正しいのか分からないので、些細なことでも先生に、疑問の都度聞いた方がいいです。

・三日間は、いつでも禅行を行うことが大切です。寝る直前まで、起きた直後から禅を行えば効果が出ます。

・禅は時間ではなく質の問題です。たとえ5分でも、真剣に呼吸を行えば、効果は絶大です。

船戸先生

小出先生に感化を受け、私も小出先生、伊藤先生、星さんと同じく、本日から新たに100日禅を行うことにしました。

100日後の11/11までをとりあえずの目標にして、毎日報告日記を書きます。

船戸先生から指導を受けてから90日となりますが、新規一転今日からまたカウントしていきます。

これまでの90日の振り返りも、改めてしたいと思います。

よろしくお願いします。

片川儀治


♠「武士道禅」体験談 中村正和氏 執筆家 筆禅会幹事 元高校教師


令和四年一月三日朝六時~五日夜十時、自宅にて

私は、故・寺山旦中居士を師匠として筆禅道を三十数年続けてきました。そして、わが師匠である寺山先生が平成十九年に亡くなられたため、その後、禅の師匠を探し続けてきました。

しかし、残念ながらこれまで縁がなく、禅の正師に出会うことが出来ませんでした。

筆禅道は、山岡鉄舟の剣禅書一如の道を求めるもので、寺山先生は、大森曹玄老師から滴水下の禅と直心影流の剣を学び、また横山天啓翁に筆禅道の書道を、日本刀の研ぎ師である山田研斎居士に観照道を参学されました。

大森老師亡き後に入門した私は、寺山先生から書と剣の指導は受けましたが、禅の本格的な指導を受けることはできませんでした。

というのも、寺山先生は筆禅道の書道が「筆をもってする立禅」であるとして本格的な禅の指導をなされず、書の道を追及されたからです。

従って、禅については、三十年来、毎朝、坐禅と瞑想・呼吸法を自分独自に工夫するしかなく、悟りを得ることが叶いませんでした。

しかし、この度、「啐啄塾」の船戸先生に御縁をいただき、そのご指導と三日間の「武士道禅」のプログラムを実践することで、本当の禅に邂逅し、小悟を得ることができたと感じて居ります。
船戸先生との有難き出会いとそのご指導とに深く感謝し、御礼を申し上げます。

「武士道禅(samuraizen)」とは、鎌倉時代の武士たちが求めた命懸けの禅という意味でそう名付けられたとお聞きしました。
日々己の命を懸けて生きる鎌倉時代の侍たちは、戦いに勝つための禅、実践に役立つ禅、無駄なく短期間で自分のものにできる禅を求めました。

それ故に、船戸先生は、長年、自分の身体を実験台としてさまざまな研鑽と工夫をされ、武士が求めた厳しい禅、格闘技として切り開く命懸けの禅、しかも、無駄なく短期間で習得できる実践的な禅を考案するに至ったということです。

私の三十年来の経験から言って、船戸先生の「武士道禅」は、今までに見たことも聞いたことも無い独創的で非常に素晴らしい禅の指導法でした。

一般の禅道場では、ただ座らせるだけで具体的な指導はほとんど行われません。そして、「悟り」とは、何十年という長期間を正師についてひたすら参禅することによってしか体得しえない境涯とされています

しかし、船戸先生の指導書には、一万時間という先生自身の禅経験で得た体験から、「侍禅」の「三日後の心境」という具体的な到達点が示されており、初心者でも、これを目標・指針として取り組み、自分自身で参禅した成果を確認することができます。

また、「修行心得」「修行の要点」としての具体的な注意事項が明確に適切に指摘されており、さらに、一日目、二日目、三日目の実践方法も、きわめて分かりやすく記されているのです。

特に、他の道場にはない船戸先生の画期的な教えが静(坐禅)に動(日常動作)を取り入れた点にあります。

また、一般の禅は、只管に身体を固定して坐る忍耐の坐禅なので、どうしても身体が硬直化し、足や腰の痛み、肩こりや膝の炎症などを起こします。

しかし、船戸メソッドでは、生きた動物である人間本来の動きを生かすことで、眠気を防止するだけではなく、意識の自己コントロールが格段に向上し、さらには、身体の疲労を減少させて、身体のコリをもほぐしてくれるのです。

船戸先生の「武士道禅」は、静に動を巧みに組み合わせることによって、呼吸に意識を集中できる状態を生み出し、短期間で悟りに至る非常にすぐれたプログラムとなっているのです。

「武士道」をテーマとして研究している私にとって、船戸先生の「武士道禅」は、とても魅力的な禅でした。

「武士道禅」は、文字通り武士が求めた厳しい命懸けの禅であり、雑念と戦い、己を克服する武士道であると思います。

そして、私は、この「侍禅」がもっとも短期間に無駄なく確実に「悟り」へと導く参禅の王道であることを体験し、実感いたしました。

私自身の三日間の「武士道禅」体験をお話ししたいと思います。

私は、今までに、一週間、五日間、三日間の断食を経験しておりましたので、今回の船戸先生の「武士道禅」をより効果的なものにしようと考えて、断食をしながら実践することにしました。
断食をすると、食事の時間・排便の時間が必要なく、その分、禅に集中できるからです。
また、断食をすると、何より「感覚」がピュア―に研ぎ澄まされるからです。

参禅の初日から朝食を抜き、いつも行っている柔軟体操、神棚・仏壇の拝礼、玄関・トイレ掃除を終えて、朝の六時から坐禅に入りました。

一日目は、雑念が多く、特に、執筆活動をしているためにさまざまな想念が沸き起こり、まさに坐禅との格闘でした。
三十分ごとに経行を行い、一時間おきに水かお茶を飲むのが救いの時間でした。

足の組み方を工夫したり、呼吸もさまざまな呼吸法を試したりで、坐ることには慣れていたつもりの私でしたが、一日中座り続けることがなかったので、前途は多難であると、改めて「侍禅」の厳しさを覚悟しました。

一日目は、食べたいという欲望との闘いであり、さらに、呼吸だけに意識を集中する格闘で終わりました。

翌朝五時半に起床し、柔軟体操、神棚・仏壇の拝礼、玄関・トイレ掃除を終えて、六時から二日目の坐禅に入りました。

午前中は昨日と同じ悪戦苦闘の状況でしたが、午後2時ころ、それは突然やって来ました。
坐禅からゆっくり立ち上がって、十分の一のスピードで経行をしはじめたときでした。

目まぐるしく動き回る小我の意識を捕まえ、これを切り捨てることができたのです。初めての体験で、まさに「小悟」と実感しました。

寝ても覚めても動き回り、自己中心的に計算する小賢しい小我の意識は、業の深い私にとっては難敵であり、これを殺すために今までさまざまな工夫や修錬を積み重ねて来たつもりでした。そして、その厄介者の小賢しい小我をようやくしっかりと捉え、切り捨てることができたのです。

それは「オッ!」「出来た!」という突然の意外な驚きであり、今まで己を支配してきた目まぐるしく動き回る小賢しい意識の正体をはっきり捉え、新しい覚醒した意識のレベルを得た感じでした。
そして、小我の意識を切り捨てると、雑念を切り捨てるのはきわめて容易になることも分りました。

二日目の夕方に、足腰が痛くなって来たので、十五分ほどマッサージして経行を十五分おきにし、一時間おきに水やお茶飲みました。もちろん、食事は一切取っていません。

そして、二日目の終わりの午後9時ころです、首・肩のこりが取れて、道元禅師の「心身脱落」の状態が訪れました。
捻りが功を奏して、身体がほぐれたのだと思います。

最終日の三日目も、翌朝五時半に起床し、柔軟体操、神棚・仏壇の拝礼、玄関・トイレ掃除を終えて、六時から三日目の坐禅に入りました。

雑念は極めて容易に切り捨てられるようになり、食べたいという欲望は、ほとんど消えて、坐禅に向き合っていました。
しかし、前日の心身脱落は消え、坐禅が振り出しにもどった感じで、午後になってもなかなか思うように心境が深化しませんでした。

午後三時過ぎになるとようやく正覚を得て呼吸に集中できるようになり、雑念はほとんど出ず、雑念が沸いてもすぐに切り捨てられるようになりました。

しかし、ここからが、また、辛く厳しい格闘の時間となりました。

それは恐らく足の組み方悪く、姿勢を前傾せずに真っすぐに立てたために、腰の仙骨に負荷がかかったためであると思います。
午後六時頃に足腰をマッサージし、ヨーガのストレッチを三十分ほど行いまいしたが、坐禅をすると足腰の痛みがさらに増し、最後の二時間は椅子に座って坐禅を行いました。

そして椅子に座ってからは、また、呼吸に集中できるようになり、最後の所では左右の腰のひねりと手の動作が舞のようになり、再び、心身脱落の状態となりました。

お蔭で、長年悩み続けて来た右肩のこりと右首筋・肩・腕・右親指の腱鞘炎はほとんど解消して治癒してしまいました。

驚くべき、船戸メソッド、船戸先生の御教えに感謝しかありません。

今回、「武士道禅」を体験して、「小悟」と「心身脱落」を得るとともに、さまざまな「気づき」あり、また、「今後の課題」も見えて来ました。

気づき

  • プリントに書いてある「侍禅・三日後の心境」のおおよそは、今までの三十年来の筆禅道である程度は出来ていると思っていましたが、それがかなり曖昧で不十分なものであったことを実感しました
  • 動と静とを組み合わせた坐禅が確実に眠気を防止し、また疲労を減少させ、さらに生きた動物である人間の禅、日常に応用できる禅として最適であることを実感しました
  • 一日目は「知性と感情」「ああだこうだという癖」から抜け出るのが難しく、これと格闘しました
  • コントロールする正覚の意識を宇宙とつなぐこと、意識を宇宙に貫くこと、または、意識を宇宙と結ぶことで吐く呼吸ごとに宇宙から(正気を)滝のように降ろすこと、ができるようになりました
  • 経行が日常と坐禅の中間である故に、経行から日常に応用できるさまざまな気づきを得ました。たとえば、「心身一如」の感覚、書や剣の「心技体」の意味が経行の中で感じ取れるようになりました
  • 経行のときに「ありがたい」という感情、「愛」の感情が沸き上がるのが感じられました
  • 沈黙の空間的な存在を感じるようになりました
  • 首と肩のこりが取れて、「上虛下実」がかなり体得できたように思います
  • 坐禅明けの四日目、身体と心がとても軽く感じられ、自分の中にあるエネルギーを感じました
  • 坐禅明けが断食明けであったので、食べるものがひと際美味しく嬉しく感じられました
  • 半跏趺坐の仕方も、教えられたやり方が負荷のかからない最善の方法だと分かりました

以上、大変貴重な御教えを頂き、誠にありがとうございました。
ちょうど私が求めていた時に船戸先生と奇跡的に出会い、それ故に、命懸けで取り組むことができた「武士道禅」であったと思います。
それは、得難いまさに「啐啄」の正師との邂逅でありました。心より感謝を申し上げます。

武士道禅1日体験参加者の声


♠東京都 大手銀行員幹部  H氏


2022年11月27日  横浜南研修施設

私は、武士道を体現した生き方をしたいと思い、これまで論語や大学など四書五経の他、吉田松陰や 西郷隆盛らの書籍を読んできた。最近では、仁義礼智信など武士の徳目に沿った生き方ができているかを、日々日誌で振り返るなど、努力をしてきたつもりであったが、自分自身、何かが足りないという感覚を拭いきれていなかった。

そんな中、致知7月号に登壇された中村先生にお会いする機会があり、もののふの会へ参加させて頂くことになった。私自身は、もののふの会の理念「人格を磨き、人間力を高め、日本人としての自覚と誇りを取り戻す」に強く共感していたが、その理念の実践の上では、私自身の「自己の確立」が最重要であると考えていた。「二刀流の侍と武士道」で読んだ船戸先生が提唱する「武士道禅」が気になっており、中村先生に質問したところ、その場で船戸先生と電話でお話する機会を得て、11月下旬に一日研修を受講させて頂くことになった。

稲盛和夫さんが禅に取り組まれており、書籍の中でも真我で物事をとらえることを訴えておられたが、中々実践には至らず。また、円覚寺でもオンラインで座禅を案内されていて一度参加したことがあったが、心を落ち着けることにはなるものの、何か求めているものと違っていた。それに対し、武士道禅とは、昔の武士がそうであったように、「悟りを得る」ことが目的と言い切られており、自分の抱えているモヤモヤや閉塞感を断ち切れるかもしれないと、期待感を持って臨ませて頂いた。

そこで得たことは記述の通りだが、船戸先生のセミナーを通して特に痛感させられたことは、私自身が、武士道を「道徳の実践」としか捉えられていなかったということだった。昔の武士が目指した心境、胆識がどういうものであるか、行住坐臥のあり方を理解せず、修業出来ていない中で、いくら経書を読んでみても、極端に言えば、ふさったコップに水を注いでいるようなものであり、人間力向上のためには、先ずは自分自身の器をつくることが大事なんだとようやく理解できた。研修を受ける迄の私は、時間があればインプットに時間を費やすことに注力し、静かな時間を持ったり、今に集中することなどとは無縁の生活を送っていたと感じている。

研修中、座禅を行うと、心が落ち着く感覚を持てた。そこまでは巷で行われる座禅と同じだと思うが、静かな時間を持つことを避けてきた自分からすれば、それだけでも効用を感じた。しかし、武士道禅的観点からいえば、正直どこからどこまでが雑念なのかすら、よく分からない状態が続いた。だが、情報や知識で塗り固めた自分でなく、裸の自分として器を拡大しようとしていると考えると、内発的動機が高まっていくのがよく分かった。

研修を終えて1週間経つが、船戸先生に毎日、武士道禅の取り組みを報告している。卒啄の言葉通り的確なアドバイスを頂けることで、ほぼ毎朝晩禅に取り組む事が出来ているが、心境が少しずつ上がってきていると実感している。

具体的には、以下の通りの効果が得られた。

今考えても仕方ない感覚的な悩みから少しずつ解放されている

無駄な時間の浪費がなくなった

朝晩の座禅と、日常の中でも無意識時間を減らしていくことを意識し、自己の確立を目指し てまいります。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


♠静岡県 中学校 教師 鈴木洋介氏


2022年11月9日  横浜久良岐能舞台

ご指導ありがとうございました。

まずもって感じたことは、毎日の生活がいかに雑念だらけだったということです。

ちょっとした間でも、何かをしている時もいつも雑念が湧いていたことには自分でも驚きました。

お昼のおにぎり禅では、あんなにもゆっくりおにぎりを食べたことは今までなかったので、いつも感じたことがないことを感じることができました。

食感、味、米粒が口の中でどう移動しているのかなど、細かなところまで氣づきました。

またゆっくり何回も噛むことで甘さが出てきて、満腹感も感じることができました。

禅は座ってやるものだけではないということは初めて知りました。

座禅以外にも歩行禅、仁王禅と自分に合ったものを自分のタイミングで行っていきたいと思います。

大事なことは日常でいかに意識できるかだと思います。昨日教えていただいたことをとにかく意識して過ごしていきます。

今日は特に歩く際そして食べる際に意識できました。

毎朝、夜も含めて少しでも時間があったら必ず禅に取り組みます。

9時間という時間でしたがあっという間でした。本当にありがとうございました。


❤京都府 女性経営者


昨日は、『禅』の一日体験コースを受講して来ました。

お寺での『禅』は何度か体験した事がありますが、『禅』は『静』のみと思っていましたが、『動』を取り入れる事により、日常生活そのものを『禅で生きる!』という、新しい学びを体感させて頂きました。 これを体得出来れば、人間であれば当たり前に浮かんで来る『雑念』が少なくなり『一瞬一瞬今を生きれる』ようになり、本当の『空』の時間を過ごせるようになります…

感情に振り回されない生き方は、ある程度出来るようになりましたが、すぐに浮かんでくる雑念を消す事は、なかなか出来ませんでしたが、雑念を消す方法も学びました!

『おにぎり禅』も体験しましたが、1つのおにぎりを1時間かけて食べる事により、様々な感覚が呼び覚まされました(^^)

文章ではお伝えする事は、かなり難しいですが、この身体の感覚は初めてです…

これを生きるには、訓練が必要ですが…(^^;;

最幸のご縁を頂きました、先生、皆様有難う御座いました♡


♠京都府 不動産会社経営


いままでの知識では、肉体の苦痛が伴うものだと思っていましたが、そうではないことを実感しました。

型に拘らず身体への負担は軽くしながら、自分の心と向き合って戦う。

心との格闘技のように感じました。

雑念との戦い方もわかったような気がします。

今では「さまざまな思いにとらわれないことです。

五感に感じることも、心に浮かぶ思念にも、なるがままにそれらの一切に引き込まれないように」といわれると、分かったような気になっていましたが、どうすればよいかは分かっていませんでした。

それが今度の経験で、一呼吸に徹し、五感を通して入ってくる情報も、心に浮かぶ想念も雑念なのだから、それに気づき切り捨てなさいということで雑念の対処法がわかりました。

さらに踏み込んだ合宿研修にも来月参加したいと思います。

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