武士道禅

武士道禅の紹介

武士道禅(さむらいぜん)とは、禅が伝わった鎌倉時代から戦国時代にかけて武士が悟りを求め命がけで取り組んだ禅と現在の禅寺の禅とを区別するために呼んでいます。

あなたの頭の中は、本当に「あなたの思考」なの?

「雑念や妄想に1日4万回以上も支配されている」と言われたら、どう感じますか?

信じられない?それとも、なんとなく思い当たる節がある?

ほとんどの人は、自分の考えを「自分の意志で生み出している」と思い込んでいます。
でも実際はどうでしょう。

朝起きてから寝るまで、頭の中は過去の後悔や未来の不安でいっぱい。

本当に「いま、この瞬間」を生きているでしょうか?

答えはNO。あなたは無意識のうちに、心を雑念に乗っ取られています。

99.99パーセントの人は雑念や妄想を自分が考えていることだと思っています。

無意識に生活をしている限り目に映し出される周りの景色さえ、自我というフィルターを通した幻の世界を見ているのです。

自我が新たな今という瞬間を汚しているのです。

見聞覚知に自我を通して瞬時に過去の情報と比較して理屈が入り込むことで素直に只あることができず心が騒ぎだすのです。

また無意識でいると雑念・妄想で脳が疲労しストレスに弱く免疫力も落ちてきます。

無意識が人間が本来持っている素晴らしい潜在能力(集中力・洞察力・創造力・自然治癒力・総じて人間力など)も閉ざされてしまっていると言えます。

雑念の正体は現実の今とは全く関係のない過ぎ去った過去のことか、まだ来ない未来のことで、気づいた時には妄想に耽っています。

そして気づかないうち喜怒哀楽に一日中振り回されているのです。

このように自分の心さえ、自分でコントロールできなくなっているのが現代人なのです。

仏教界では六界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を死んだ後の世界と教えていますが、実は私たちが生きているこの世界にもあてはまるのです。

ここから抜け出すには、声聞(真理を聞く)、縁覚(学ぶ)を経て菩薩、仏の境界を目指し精進していくほかありません。

2500年前にお釈迦様(実在した人物)は生きている人々に真理を説いていました。
禅をやりなさい、そして悟りなさいと。

勧めるにあたり、その人にあった方便をもちいていました。

ですから、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界の六界(六道)は死んでからの世界ではなく生きている我々が凡夫(悟っていない人達)である限りこの六界を日々、行ったり来たりする心境だと受講者の方に伝えています。
 

あなたが無意識に生活していると朝から晩まで雑念のシャワー(雑念BGM)を全身に浴びているような状態です。

実在しているのは今、この瞬間の今という時だけ。

今という瞬間のにしか我々は生きていないのです。

0.1秒前の過ぎ去った過去には生きていないし、まだ来ない0.1秒先には生きることはできない。

これが真実で、過去と未来の境を明確にしなければいけません。

これが真理だからです。

真理に逆らった生き方は精神を病んだり、身体に悪影響をもたらします。

真理は頭で理解できません。

雑念のない無我の境地に到達すると、今に生きることができ、すべてのモノとの隔てが取れてその物(人)と同化して、例えばある出会った相手(人・物・・)との比較感情や損得感情が消滅しとても楽になります。

無我の状態で周りを見渡すと、すべてのモノが鮮明に映し出された世界が飛び込んできます。
この現象は自我を通さず、目の機能(感情も入らずにただ映し出している)本当の世界です。

言葉では伝わらないかと思いますが、自我が落ちると先ほどまで見ていた湯呑一つ、自分の手足の動き、手の皴、壁、畳の目などが理屈なく鮮明に只みることが可能となります。

自我で閉ざされていた真心(阿頼耶識)が出現したことで、今まで気にもかけなかった当たり前が感動に代わり自然にうれし涙が零れ落ちてきます。

自我が芽生えて以来、バラバラになった心と身体が久々に本来の心身一如に戻ったのです。

生まれてきた赤ちゃんがまさに自我のない状態であり、人間本来の様子です。
他のモノと隔てのない赤ちゃんは、親と自分の区別がつきません。

このことが理解できる人は1日でも早く行動に移しましょう。

人間が持つ本来の能力を引き出すのに一切のテクニックなど必要ありません。

正しいやり方を学び、雑念がでる基に向かい3日間戦い続けることでたった3日で解決できるのです。

神道では姿を映し出す鏡(かがみ)から我(が)を落とすことで神(かみ)となり、仏教では我が解ける(ほどける)仏(ほとけ)と言います。

死んで仏になるのではありません。
成仏とは、いきているこの人生で悟った方のことですから。

論語に「朝聞道夕死可也」とありますが
「あしたにみちをきかば、ゆうべに死すともかなり」
本来の意味は、「悟りに至れば生きることへの執着も消え、死を恐れることもなくなる」ということでしょう。

孔子も悟っていたと思います。悟った人の言葉は悟った人にしか理解できない箇所も多いと思います。

これらのことが実践してわかると余計なことをしなければ誰もが幸せに暮らせるように生まれてきたのだと納得します。

重要なことは、今の置かれている場所がどんなに苦しくても、今いる場所がパラダイスになるのです。

前にも言いましたがオギャーと生まれてから言語を覚えるまでは自我がなく無我の状態でした。

その時々の瞬間の縁に応じてただ悲しければ泣く、嬉しければ笑う、決して後々まで引きずることはありませんし、不安も怖いものなど何もありません。

過去も、未来も思い悩むことも引きずることもなくただ今だけでいられるのです。

あなたも生まれて数年間は「自然体」「あるがまま」だったのです。

本来はそうなのですが長年人生をしてきて無意識に生活することで自我が肥大化し自由に生きられなくなってしまったのです。

人の言葉に引っ掛かり腹を立てたり、本を読めば自我を立て、理屈が出て心が騒ぎだして素直に読めない。

こうした自我を認めた生活こそが宇宙の真理に逆らって生きていることなのです。

このことに一刻も早く気づかなければいけません。

早く身につけてしまった自我を落とさなければいけません。

民のレベルに合わせて方便を用い説いていたのです。

釈迦が大悟したのち諸国を49年間説教して回った記録、その法門こそ8万4千のお経です。
そもそもお経は相手の心境に合わせて方便で語った内容の記録です。

現代のように亡くなった方に説いたのではありません。

日本では鎌倉時代から戦国時代にかけて武将たちは死が身近にあった状況下で、悟れる禅と出会い真剣に取り組み高い心境に至ることでいかなる状況下においても平常心で対処してこれたはずです。

鎌倉武士は平和になった江戸時代の家に使える武士と違い自分たちの所有する土地や生活を守るため人に使えていたのです。

裏切りも激しい時代、自分たちを守るためには人を見極める力量や戦地で頭が真っ白になって敵味方の判別がつかないようでは生き抜けません。

現代に例えれば、公務員と個人事業主以上の違いがあります。

禅は鎌倉、室町、戦国時代の中世の武将たちの救いだったのです。
悠長に坐禅していたのではありません。

決着がつくまで一呼吸や行住坐臥(日常の動作全般)に命がけで雑念に注意を払い雑念を切り捨て続けていくことで短期間で無我の境地に到達していたのです。

もうお分かりかと思いますが禅はあなたが思い描く宗教とは無縁です。

本来の禅は人間の持つ本当の能力に目覚める唯一の手段です。

当塾では武将たちが取り組んだ禅を30年以上検証してきました。

もちろん3日間でお釈迦様のように大悟できるとは申しません。

お釈迦様の境地からみればほんの悟りの入り口程度でしょうが、体験した人のその後の人生は激変します。

現代ではこの心境に達するに運が良くて数年から数十年かかっています。

今では禅宗でさえ悟りを否定し禅学の一部として指導しているのが現実です。

現代では悟った方は数人しかいません。

すごいことだと思いませんか。

3日間で無我の境地へ到達できる武士道禅(サムライゼン)があることを一人でも多くの方に知っていただくためこのサイトをアップしています。

人生を変革する決意のできた方は是非お問い合わせください。

お待ちしています。


現代人に必要な「無我の境地」

では、実際どうすれば心の雑念から解放されるのか?
実は、鎌倉時代の武士たちはすでにその答えを見つけていました。

彼らは、死と隣り合わせの戦場で、恐怖や迷いを断ち切るために「ある技術」を徹底的に鍛え上げました。それが「武士道禅(サムライゼン」です。

この禅は、単なる坐禅ではありません。己の内側に巣くう雑念と真剣に向き合い、短期間で無我の境地へと到達する実践です。

この鎌倉武士が取り組んだ武士道禅を学ぶことで、あなたは次のように変化を体験することができます。

✅ 思考の雑音が消え、澄み渡る静寂の中で物事を判断できるようになる。

✅ 過去や未来にとらわれわれず、「今、この瞬間」に集中できる。

✅ 自分自身と深く向き合い、本当にやるべきことに気づく。

✅ 仕事や人間関係において、ブレない強さを手に入れる。

「無我の境地」に到達することで、人生は劇的に変わります。


3日間の武士道禅研修であなたの人生が生まれ変わります

この武士道禅の実践は、たった3日であなたの人生を大きく変える可能性を秘めています。

鎌倉時代の武士たちが命を懸けて磨き上げた技術を、現代に生きるあなたに最適化したプログラムを紹介します。

3日間で無駄なく無我の領域に到達する研修内容

  • マンツーマン指導
  • 初日に3時間以上かけ徹底的に着眼を説明
  • 初めに、信頼関係を築くことで安心して3日間の受講が可能となります。
  • 一緒に坐禅、歩行禅、仁王禅、食事禅、指禅などを実践指導、また日常生活に戻り心境維持のために今の守り方、禅の習慣化、禅的生活の実践方法を説明しています。
  • 受講前に「初伝」を、受講後には「中伝」をお渡ししています。
  • 「初伝」では心得、着眼点、研修の詳細などを記しています。
  • 「中伝」には、なぜこの心境に到達できたのか。社会生活での心得、禅的生活のアドバイス、心境が落ちた時に、ひとりで再現できるようにアドバイスなどを記しています。
  • 足腰の悪い方でも問題ありません


「武士道禅3日間研修」心境の変化

【1日目】心理状態は片時も安定せず雑念の中にどっぷりと浸かった状態でしょう。 この状態が今日、明日と続き苦しむことになります。 

【2日目】一日目と同様に禅を行います。 早ければ、呼吸とは何か?歩くとこのことかと、そのままの事実に気づいてきます。 雑念も一瞬切れるようになってきます。 雑念の入らない事実の世界に気づいてきます。 
一呼吸、一呼吸を「今」、「今」と明けても暮れてもやっていますと不思議なことに雑念を自由自在に切り捨てることが出来るようになり修行自体が楽になってきます。  
そうなると雑念が出ても無視できる力が備わってきます。痛快になるはずです。 
心が飛び始めるポイントが理解できるようになりますので昨日とは大きな違いです。 
瞬間、瞬間の雑念のないところが見えてきますので、そこを守っていきます。 

【3日目】午後には、歩行も食事も今やっている一点にピタリと心を合わせることが出来るようになります。 
そろそろ急所もわかってきますし、そうなると一気に心境が進みます。 
いかなる雑念も片っ端から切り捨てることができるようになります。 
手の動き一つとっても心から尊さを感じるようになります。 
殆どの方が、自然に感謝の気持ちが湧いてきてしばしば涙するようになります。 
今まで囚われていた心が開放され、安心感もでて、雑念、煩悩で囚われていた本来の自己が開放されます。 
引き続き一呼吸、一呼吸の雑念のない今、今を命懸けで守り続けていきます。 
これまで研修を真剣にやられた方は「己の」心を知ったことで心の管理能力が高まっています。 
明日からの人生を最高に楽しむことが可能になったのです。 


こんな方におすすめ

✅仕事や人生の決断に迷いがある方

✅雑念やネガティブ思考に振り回されている方

✅ストレスを減らし、心穏やかに生きたい方

✅「今、この瞬間」に生きる力を手に入れたい方

あなたが今このページを読んでいるのは、決して偶然ではありません。

人生を変えるための第一歩を踏み出すチャンスです。


1日体験コースも開催しています

3日間本格研修の受講前に体験を希望する方のために方に向けて「1日体験セミナー」を受講できます。

私たちの日常と雑念

私たちは無意識のうちに、1日に4万回以上もの雑念のシャワーを浴びながら生活しています。しかし、目が映し出す現実と、自我を通して見ている世界は大きく異なります。自我を通じて物事を捉える限り、真の安らぎを得ることは難しいでしょう。雑念や妄想は極めて速い速度で生じ(0.01秒~0.1秒)、多くの人はこれらを「自分が考えたもの」と錯覚しています。しかし、それは自我の影響によるものに過ぎません。


鎌倉時代の禅と現代の禅

鎌倉時代に伝わった禅は、お釈迦様が弟子たちに伝えた正統な教えに基づいており、悟りを目的としていました。この時代、武士たちは戦乱と死の危機に直面しながら、勝利を追求しつつ精神的な安定を求めていました。禅は、彼らに「屈強さ」「頑強さ」「慈悲の心」を与える支柱となり、その生き方は後の江戸時代の侍にとっても憧れの存在でした。
一方、現代の禅はその在り方が大きく変化しています。悟りそのものを否定し、教義に重点を置く形へと変わり、心理的安定やマインドフルネスとして応用されることが一般的になっています。また、本来禅は宗教とは関係がないものでしたが、現代では宗教や哲学の一部として捉えられる傾向があります。


無我の境地とその実現

禅が目指す「無我の境地」とは、単なる一時的な「ゾーン」の状態とは異なります。それは、日常生活全般において自我を超えた自然な働きが現れる状態です。この無我の境地に到達するためには、禅を通じた修行が不可欠です。頭の良し悪しは禅修行に関係がなく、むしろ妄想癖の強い方ほど苦労する傾向があります。


禅と雑念への対処

禅は、雑念や妄想に振り回されずに生きる術を教えています。雑念に気づき、それを追いかけるのではなく自然に流れるままにすることでもなく発見次第、切り捨てることが重要です。また、「あるがまま」や「自然体」といった理想の境地も、自我を超えることで初めて到達可能となります。無我の境地に至るには、禅以外に方法はありません。


結論

鎌倉時代の武士たちが体現した禅の教えは、現代社会においてもその価値を失っていません。日常生活に禅を取り入れ、雑念や妄想を制することで、私たちは自我を超えた安らぎと充実した人生を手に入れることができるようになります。


禅に取り組んだ名将達の一例を紹介

武将師匠武将師匠
北条 義時明慧上人徳川家光沢庵禅師
北条 泰時明慧上人柳生宗矩沢庵禅師
北条 時頼蘭奚禅師伊達政宗雲居禅師
北条 時宗無学祖元禅師宮本武蔵隠元禅師?
楠木 正成関山國師山鹿素行隠元禅師
足利 尊氏夢想國師松尾芭蕉仏頂禅師
上杉 謙信天室光台禅師
/益翁禅師
西郷南州無参禅師(農民)
武田 信玄快川禅師山岡鉄舟洞山禅師
織田 信長沢彦禅師/策彦禅師

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