
──このブログの表題と、最初の一枚に込めた思い
このブログの表題は
「鎌倉武士道と禅」
そして最初に目に入る画像は、朝比奈切通しの写真です。
なぜ禅のブログの表題画像が、寺でも坐禅でもなく、
この切り通しなのか。
不思議に思われた方もいるかもしれません。
今日はその理由を、少し肩の力を抜いて書いてみたいと思います。
朝比奈切通しは、ただの史跡ではない
朝比奈切通し は、
鎌倉時代に、鎌倉と六浦(現在の横浜方面)を結ぶためにつくられた山道です。
とはいえ、
「道」と言って想像するような、
歩きやすく整えられたものではありません。
山を削り、岩を割り、
「ここを通すしかない」という覚悟でつくられた道です。
今でも歩いてみると分かりますが、
正直、楽ではありません。
鎌倉武士は、こんな道を日常としていた
鎌倉武士たちは、
戦の時だけでなく、
日々の行き来の中で、この道を通っていました。
足元に気を配り、
周囲に神経を張り、
一歩一歩、身体ごと今に集中する。
ここには、
「気を抜く余地」がありません。
私はこの切通しを歩くたびに、
「これはもう、半分禅だな」と感じます。
禅は、座る前に始まっている
現代では、
禅というと「坐禅」を思い浮かべる人が多いと思います。
もちろん坐禅は大切です。
ですが、鎌倉武士にとっての禅は、
もっと生活に密着したものでした。
道を歩く
刀を帯びる
一瞬の判断を誤れば命を落とす
そんな日常の中で、
余計な思考は命取りになります。
朝比奈切通しは、
「考えすぎることを許さない場所」です。
だからこそ、
ここに禅の匂いを感じるのです。
このブログの表題に、この写真を使った理由
このブログを
「鎌倉武士道と禅」
と名づけたのは、
知識としての武士道や、
理屈としての禅を語りたいからではありません。
鎌倉武士が生きた
緊張感のある日常
逃げ場のない現実
その中で培われた心のあり方を、
今を生きる私たちの目線で考えたい。
朝比奈切通しは、
その象徴として、これ以上ない場所だと思っています。
楽な道ばかり選んでいないか
この道を歩いていると、
自然とこんな問いが浮かびます。
自分は、少しでも楽な道ばかり選んでいないか
本気で生きる場面から、逃げていないか
朝比奈切通しは、
何も教えてはくれません。
ただ、
ごまかしが効かない空気だけが、
静かにそこにあります。
最後に
このブログの最初に、
朝比奈切通しの写真を置いたのは、
「まずは、ここを通ってほしい」
そんな気持ちもあったからです。
鎌倉武士道と禅は、
頭で理解するものではなく、
本来は身体で感じるものだったはずです。
もしこの文章を読んで、
少しでも立ち止まったなら、
それがもう、この道の入口なのかもしれませんね。
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